前回は、中川夫妻と源九郎とよの他に、もうひとり若手メンバーのリーダーである伊藤君との出会いについてご紹介しました。
彼は、当時、某有名大学の学生さんでしたが、古い日本家屋に惹かれて、一時大学を休学して建築の専門学校に通っており、その関係で洞泉寺町にある遊郭の保存活動にも積極的に携わっておりました。
これから復興物語を進めていく上で、伊藤君は頻繁に登場してくる人物になるので、少しだけ伊藤君が当時携わっていた遊郭についてお話しておきたいと思います。
ただ、残念なことに、当時現存していた遊郭のうち、すでに3軒が取り壊されて駐車場になってしまっており、現在残っているのはたった3軒となってしまいました。(とにかく木造で古い建物の空き家であるため、どんどん崩壊が進み、地震があれば大変なことになるため、持ち主さんが思い切って手放したそうです)
源九郎稲荷神社は、そんな大和郡山市洞泉寺町の遊郭街の奥に、ひっそりと建立しています。
洞泉寺町は、その昔、政府が公認していた遊郭街です。
戦前、奈良県内にあった遊郭は、
・奈良市の「木辻」
・大和郡山市の「洞泉寺」「東岡」
の三箇所だけです。
「木辻」は、観光名所である「猿沢の池」から南に歩いて10分ほどの場所にありますが、今は住宅地に変わってしまっており、建物もほとんど建て変えられています。
ところが、城下町大和郡山市の2つの遊郭跡は、私が復興活動をしていた2011年当初は、驚くほど姿が保たれておりました。
JR郡山駅を出て商店街の通りを西の方向に歩いていくと、7、8分で洞泉寺町に出ます。(近鉄郡山駅からも、商店街の通りを反対に東方向に歩いていくと7.8分で到着です)
寺の参道に幹を連ねる遊郭は江戸時代初期から存在していたらしいです。
幕末には6軒、昭和初期には17軒の妓楼がありました。
現在も6軒の建物が、それほど退色することなく、周囲を圧倒するような連子格子もそのままの姿で建っています。
その中でも、その後、復興チームの発案で行われた「夕涼み会」の会場となる「旧川本邸」は、伊藤君を筆頭とする若者ボランティアの手で蘇り、墓地を見下ろす楼閣の窓にハート型の明り取り窓が口を開けてその存在感をアピールしています。
今は、大和郡山市による耐震工事も終了したことから、ボランティアスタッフの手を離れ、「町屋物語館」という市の観光名所に生まれ変わり、一般の方の拝観できるようになっております。
詳しくは大和郡山市のホームページを参照してください。
中川のおじちゃんは、この洞泉寺町で生まれ育った方です。
おじちゃんのお家も、昔は遊郭を営んでいたそうです
洞泉寺町の遊郭は、経営者が教養・知識人であったことから、遊女達にも、いろんな教養を身につけさせていたと聞いています。
毎年、夕涼み会でお茶席を開いてくだることとなる川本さん(元旧川本邸の持ち主)や、中川のおじちゃんを見ていると、その教養の高さがうなずけます。
しかし、大和郡山の町の人の中には、この洞泉寺町を毛嫌いする人も存在し、遊女達は、歴史の中で被差別民とされていたことが伺えます。
この洞泉寺町で生まれ育った中川のおじちゃんは、この街をこよなく愛しています。
そして、この遊郭街の中で、遊女達に大切にされてきた商売繁盛の神社、それが源九郎稲荷神社です。
遊女達とは切っても切れない歴史が、きっとこの源九郎稲荷神社にはあるはずなのですが・・・
それに関する文献等が、なぜか神社には何も残されていません。
たったひとつ、遊女達が信仰の対象としてきたであろう「静守大神」の扁額だけが、ポツリと存在しています。
歌舞伎の演目である「義経千本桜」の中で、静御前を守り通した「源九郎狐」に由縁することからつけられたであろう「静守大神」という名前・・・・
義経千本桜のお話はこちら
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それは、おそらく源九郎稲荷大神の別名であり、遊女達は、静御前の生い立ちと自分達を重ね合わせ、静御前を守り通したこの神様に、ひとかたならぬ思いを寄せていたのではないかと思います。
しかしとよは、伊藤くんに出会うまでは、源九郎稲荷神社が遊郭街の中に存在する神社であることを、あまり意識せずにおりました・・。
けれど、ある日、伊藤くんと出合ったことで、
「歴史の中の遊女」
「遊女と共に存在した神社」
・・・そういう視点で源九郎稲荷神社を見ることとなったのです。
源九郎稲荷神社の境内に植えたお花が抜かれている!!
そんな遊郭街の中になる源九郎稲荷神社の復興活動を始めてから、少しづつ神社もいろんな方に参拝していだけるようにきれいになってきました。
中川のおばちゃんと、とよは、神社を訪れてくださる方々が、
「きれいなお花ですね。このお花はなんというお花ですか?」
等と色々聞いてくださるのが嬉しくて、色んな種類のお花を植えました。
このカラーの花は、黄色の種類を植えたはずだったのですが、咲いたのはとてもきれいな紫でした。
紫はとよが源九郎稲荷神社の復興活動をするきっかけとなった親友の美里が大好きな色でした。
なので、黄色を植えたはずなのに紫の花が咲いたときは、なぜか美里が神社に挨拶に来てくれたような気がして、とても嬉しくなりました。
このカラーはこの年、とても長い間咲いてくれました。
そして、その後も毎年花を咲かせてくれるそうです。
このピンクの花も、源九郎とよが植えたものです。
皆さんから
「何の花ですか?とても綺麗ですね」
と言われるのですが、植えた本人が、何の花かわからない・・・のです。
さてさて・・・お花の名前を知っておられる方は教えてくださいませ。
こんなふうに、少しずつお花を植えては、お花が咲いて神社に色どりが添えらるのを楽しんでいたのでいたのですが・・・
ある日・・・・・・
と中川のおばちゃんがとても怒っていました。
そして、おばちゃんが指差す方を見ると・・・・
無残にも、とよ達が植えたお花が5~6株抜かれて、御神木の根元に捨てられていました・・・。
更に、とても青々と綺麗になってきた
「竜のひげ」
が、刈り取られてしまっていました。
私達のしていることを気にいらない人がいる・・・
そのことは確かでした。
私は、怒りよりも悲しくなりました。
でも・・・・。
先日、ある男性から
家で誰にも相手にしてもらえないのか
とひどいことを言われた際、みんなに励まされてから「もう落ち込まない」と決めたとよは、捨てられたお花を手に取り、元の場所に植えなおしました。
まだ、枯れていないので、植えなおしたらきっと元気になるだろうと思いました。
結果、今もその花たちは元気に咲いてくれています。
刈り取られた竜のひげも、また成長し、青々とした美しい姿で咲いてくれています。
お花を抜いた犯人は後に、その現場を見ていてくれた人がおり誰だかわかりました。
このブログをずっと読んでくださっている人は、だいたい想像がつくと思いますが、例の蛇女さんでした。
とっても残念なことだけど、いろんな考えの人がいて、それぞれの思いで生きています。
なのでとよ達のすることが、すべて賛同されるわけではありません。
でも、同じ方向を向き、ひたむきに神社のことを考える仲間達がいるかぎり、とよは、自分達のしていることを信じて歩いていきたいと思いました。
いよいよ物語は第三章へと突入です。
第三章では、復興活動メンバー達が神社で行った手作りのイベントをたくさん紹介しております。
物語の続き第3章 第51話はこちら
復興活動物語の目次はこちら
源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクスパ経営奮闘記」
それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。
とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。
なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。
でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。
元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語