復興チーム❤スタッフ

語り部 中川圀昭氏

神社の管理人さんであり、かつ語り部として有名な中川圀昭氏は、語り部氏としての活動が注目され、メディアなどにも多く取り上げられています。陽気で頭の良いとてもリーダーシップのある方ですが、偉そうにしたり気取ったりするところが全くなく、とても気さくで優しいお父さん的な存在です。復興活動のスタートメンバーの中心人物でもあります。

お花の守人 中川奥様

管理人中川氏の奥様です。実年齢を聞いたらびっくりする位若く見えるので、みんなからは魔女だと思われています。とても美しく優しい方です。境内に咲く四季折々のお花を育ててくださっており、その技術は専門家みたいです。陽気で笑っているところしか見たことがなく、気さくな人柄はチームのメンバーみんなから慕われています。

スタッフ代表 とよ

中川さんご夫婦と一緒に、神社の復興活動を始めた元警察官。当時は警察官ということを黙って活動していたので、名前もペンネームの「とよ」を名乗っていました。現在は警察を辞めて、神社の社務所を建て替えるための資金集めのため、バンコクでスパを経営してがんばっております。

スタッフ副代表伊藤君

当時は学生だった伊藤君も、今は立派な社会人として大和郡山市のために活躍されています。とよ達が神社の復興活動を始めた時、目と鼻の先にある遊郭で、遊郭の建物を保存する活動をしていました。見た目は物静かに見えますが、心の中は熱い闘志がみなぎっている熱血で真の強い男で、頭の良い素晴らしいイケメンです。

岩岸ご住職

現在お火焚祭りを執り行ってくださっている吉野山の金峯山修験総本宗知足山玄明院岩岸真成住職は、とよの仏教の先生でもあり、良く相談者でもあります。お火焚祭りだけでなく、様々な面で、神社の復興活動にご協力してくださっている頼もしいお坊様です。

気さくで、グルメ好き。とてもお話が上手です。

郡山薬八幡宮住職

郡山薬八幡宮の平田宮司は、元々学校の先生をされていただけに、優しくて頼りがいがある宮司さんです。復興活動をスタートさせた数年間は宮司さんが不在であったため、お隣の神社の平田宮司さんが、自分の神社と掛け持ちで神事を執り行ってくださっていました。また、故鈴木さんの長男さんは、平田先生の教え子であり、神社での再会は感動的でした。

故  鈴木さん

とよが、ブログを書くきっかけを与えてくださったブロガーさん。本職はコンピューターシステムのエンジニアでしたが、歴史が大好きで、とても面白い歴史ブログを書かれており、大人気のブロガーさんでした。とよから復興活動の相談を持ち掛けたところ、すぐに駆け付けてくださり、その後何かと力になってくださいました。けれど、若くして急死されてしまいました。

故 藤本さん&中野さん

草木が生い茂り、ジャングルのようになっていた神社の境内を、お二人はいつも草刈り機で綺麗に草を刈ってくださいました。とよが当時勤めていた斑鳩町の協力者の方達ですが、残念なことに、藤本さんはガンでお亡くなりになりました。

その後も中野さんがおひとりでお手伝いにきてくださっておりました。

中川氏の妹さん

中川の妹さんで現在は大阪に住んでおられますが、幼いころ日本舞踊では神童と呼ばれたくらい有名だったそうです。

踊りの他、三味線や太鼓など伝統舞踊に精通されており、お祭りの際は必ず駆けつけてくださいます。

とても気さくで姉御肌な性格は、若いスタッフからも慕われています。

三味線美和会の師匠

源九郎稲荷神社お抱えと言っても過言ではないくらい、神社のイベントの度にご協力してくださっているのは三味線美和会の美和師匠です。

とても美人ですが、気取らなくて気さくな師匠です。中川さんご夫婦や妹さんも、師匠の元で三味線を習っておられました。神社の裏に住んでいるのでお掃除なども手伝ってくださいます。

踊り延矢会の師匠

三味線の美和会と神社の二本柱的なもう一つの存在が、踊りの延矢会です。神社のイベントでは延矢会の師匠の元、美和会の三味線の音に乗って、いつもすばらしい踊りを披露してくださいます。

師匠は背筋がピーンと伸びた若々しい方で、いつもニコニコされている頼もしい存在です。延矢会のみなさんも着物がとても似合う綺麗な方ばかりです。

稲荷行者 木村さん

お稲荷さんを心から信仰されている信者の行者さんで、岩岸住職のお寺の信者さんでもあります。

大阪に住んでおられるのに、頻繁に神社に来てはびっくりするほど丁寧に神殿のお掃除をしてくださいます。

まだ、木村さんがあげる祝詞はいつも、とても美しい音色を奏でています。

K-pool

金魚の養殖産業が盛んな奈良の大和郡山で、新しい形の地域活性化を目指す団体です。

夕涼み会の金魚ねぶたは、K-POOLさんが設置してくだいます。

その他、神社のイベントの度にお手伝いしていただきました。

現在も金魚を通じた町おこし活動を積極的に展開しておられます。

K-pool ムッチャン

K-POOLの初期スタッフとして働いていたむっちゃん(現在ははならーとのメンバー)は、夕涼み会を開催するきっかけとなったアイデアをくれた人物です。明るくて活発な女性で神社のイベントを支えてくれました。

また、お正月の巫女さんとしても活躍してくれました。今は、すでに良きお母さんにもなっています。

K-poolゆっこちゃん

写真左側のゆっこちゃんは、K-POOLのもうひとりのスタッフです。長野県出身で、現在は地元に戻られています。

鬼剣舞の舞手であり、1回目の夕涼み会では見事な舞を披露してくださいました。

むっちゃん同様に、神社のイベントを常に支えてくれました。

穏やかなとても優しい性格の女性です。

源九郎カフェのご夫婦

源九郎カフェは、神社でイベント等を開催する際に、いつも復興活動にご協力をいただいているご夫妻が、境内で臨時で開催してくださる屋外カフェです。湯の峰温泉水を使用したコーヒーは深みのある味でとても美味しいと、毎回大評判です。カフェの収益金を神社に寄付してくださったり、中川の奥さんが育てているお花の中で、弱ったお花を一時的に持ち帰って元気にしてから神社に返してくださるなど、お花の保養所のような役割もしてくださっています。

洞泉寺町の住民の皆様

洞泉寺町の住民の皆様には、本当に助けていただきました。

神社のお掃除やお留守番をしてくださるNさん、お祭りでは電気関係の配電をしてくださる電気屋さんのTさんや、常に助っ人にかけつけてくださるKさんとUさんは、いろんな面でご協力をいただいておました。

また、その他の洞泉寺町の住民の方、中川の奥様のご親戚の方やお友達等も、いろんな面でサポートをしてくださっています。

お掃除隊心洗組

神社復興活動をスタートさせるに当たって、一番最初にしたことが神社の掃除です。

復興チームが活動を始めた頃、神社は荒れ放題の状態でした。社務所も境内も、何がどうなっているのかわからないほど荒廃していましたが、なんとかその年のお正月を綺麗な神社で迎えたいという思いから毎日毎日、ひたすらお掃除をしました。

最初3人で始めた活動でしたが、しばらくすると地域の方々がお手伝いしてくださるようになり、その後隣町の斑鳩町の方々まで掃除に来て下さるようになりました。

その後は、ボーイスカウト等の応援も得ることができるようになりましたが、常に協力依頼するわけにはいかず、地道に地域住民でお掃除をしておりましたが・・・すごい救世主が現れることとなりました。

お掃除隊の心洗組の皆様方です。

普段は学校のトイレ掃除等をボランティアでなさっているグループなのですが、その定期活動の中に源九郎稲荷神社のお掃除を盛り込んでくださることとなりました。このお掃除隊の中心的なメンバーは、とよの元職場の同僚であり、とよが源九郎稲荷神社へと導かれたきっかけとなる癌で亡くなった「美里」とは、高校時代の同級生でかつ親友でもあります。ここにも不思議な縁を感じます。

お掃除隊の皆様には高い志があります。そこに神社を復興させたいという私達の思いがコラボして、さらに大きな奉仕活動の輪が広がっています。

また、心洗組以外にも、有志の皆様が協力してお掃除をしてくださっております。普通の神社ではお掃除の様子などをブログやホームページに載せることはないと思いますが、神社では、お掃除に協力してくださる皆様方一人一人の思いに、とても感謝しております。

大和郡山市&観光協会等との連携

2011年8月、源九郎稲荷神社で始めての夕涼み会が開催されました。
その会場に、大和郡山市長さんの姿がありました。お祭り開催の話をどこかから耳にされた市長さんはプライベートで見に来てくださいました。
そして・・・「住民レベルでここまですごいお祭りを開催するとはびっくりいたしました。大和郡山市としても、皆さんの活動をできるだけバックアップしていきたいと思ます。」と言ってくださいました。
その後、市長さんは神社で開催するイベントには必ず足を運んでくださるようになりました。また、大和郡山市地域振興課の皆さんは、私達の活動を理解してくださり、色んな形で支援してくださるようになりました。

市長さん以下、大和郡山市からの理解と協力がなければ、今のように活動が拡大していくこともなかったと思います。復興活動をしていく上で、地域自治体との連携は欠かすことができないものだと思います。非常に感謝しております。

さらに、観光協会の皆様は、夕涼み会を露店のかき氷で盛り上げてくださったり、観光ガイドをされる際は源九郎稲荷神社を観光ルートに加えてくださったりと、縁の下から神社を支えてくださっている頼もしい存在です。とくに観光ガイドのNIOBEさんは、独自で神社の文献を調べてくださったりと、神社の歴史を紐解くお手伝いをしてくださっています。

六代目中村勘九郎さん襲名祈祷プロジェクトの開始

ある日、大和郡山市地域振興課から「大和郡山市主催で、歌舞伎俳優の中村勘九郎さんを神社にご招待する」という凄い話が神社に舞い込みました。神社総代の中川さんとスタッフ2名が、このプロジェクトチームに加えていただきました。

歌舞伎の演目である「義経千本桜の四段目、四の切」に登場する源九郎狐は、源九郎稲荷神社の名前の由来となっている狐さんのことです。中村勘九郎さんは六代目を襲名したばかりであり、襲名記念公演で源九郎狐を演じられることが決まっておりました。

過去には源九郎狐を演じたら右に出るものはいないと言われた三代目市川猿之助さんも、神社に参拝に来られています。源九郎稲荷神社と歌舞伎とは切っても切れない、とても深いつながりがあるのです。

そして、2012年9月26日に、六代目中村勘九郎さんが神社にお越しくださいました。宮司さんのいない当神社では、お隣の郡山薬八幡宮の宮司さんにお越しいただき、ご祈祷を執り行っていただきました。その時の様子が下の写真です。

また、中村勘九郎さんは、参拝の後大和郡山城ホールへと移動し、大和郡山南小学校の子供達と源九郎小唄に乗せて白狐の踊りを一緒に踊ってくださる等子供達との交流を図ってくださいました。この市長さんの粋な計らいのお陰で、全国の歌舞伎ファンが神社に足を運んでくださるようになりました。

四代目市川猿之助さんの水木十五堂賞授賞式

中村勘九郎さんが六代目中村勘九郎を襲名された同じ年、市川猿之助さんが四代目を襲名されました。中村勘九郎さんが神社に参拝されてから、歌舞伎ファンの方の参拝が増えましたが、いつも「市川猿之助さんは来られないの?源九郎狐は澤瀉屋の十八番よ」と言われました。

それで、源九郎とよは思い切って市川猿之助さんにお手紙を書きました。機会があれば神社に参拝くださいといった内容のものです。すると、なんと!! 神社にお電話をくださった上に、翌年の2月にお忍びで参拝くださったのです!!中村勘九郎さんもとても好青年でしたが、市川猿之助さんもとても素敵な方でした。

そして、今度はまた大和郡山市が素敵なプレゼントを下さいました。

第3回水木十五堂賞に猿之助さんを選んでくださったのです。普通、自治体レベルの賞の受賞に本人が出席されることはまれな事だそうですが、猿之助さんは自ら足を運んでくださいました。そして、大和郡山市側の計らいで、猿之助さんとお話しさせていただく機会をいただきました。

ほんの10分程度の時間でしたが、そこで猿之助さんから神社についてたくさんの質問を受けました。これにはスタッフ一同びっくりしましたが、その後の受賞公演で猿之助さんが話されたことは、賞の受賞についてではなく、最初から最後まで源九郎稲荷神社についてのことでした。

猿之助さんは、講演を聞きに来られていた住民の方に「この講演が終われば、みなさん神社にお参りに行ってください。その場合お賽銭は1000円以上お願いしますね。」等と呼びかけて下さいました。この時彼が言われた言葉がとても印象に残っています。「どこかのスポンサーが大金を出して神社を建て直すことは簡単です。けれど、それではいけないのです。みんなの手で復興させてこそ意味があるのです。」と・・・この考え方は、私達スタッフがいつも持ち続けている思いです。猿之助さんの言葉が、1人でも多くの人の心に響いてくれたらと願いました。

そして、猿之助さんの言葉は沢山の方の心を捉え、この講演の後、神社は参拝客で溢れて収集がつかない状態になっていました。猿之助さんの講演の効果は素晴らしく、その後もこの講演のことが話題となり、神社の参拝客は日ごとに増えて行きました。

大和郡山市長さんも、「次は、猿之助さんか勘九郎さんに、是非大和郡山市で歌舞伎を演じてもらわないといけませんね」と言ってくださいました。さらに、受賞の副賞として授与された償金50万円を神社に寄付してくださいました。さらに、その後も神事の際に掛ける垂れ幕も寄付くださいました。猿之助さんは、その後もお忍びでこそっと神社に参拝に来てくださいます。ひょっとしたら、あなたも偶然会えるかもしれませんよ~!!

授賞式の日に楽屋で猿之助さんとお会いすることができました。一度もお会いしたことがないのに、「土井さん!」と言ってくださったのには驚きました。なんと、手紙を書いてことを覚えてくださっていたのです!!(猿之助丈、中川奥様、岩岸住職奥様、とよ、岩岸住職)

写真は猿之助さんが寄付してくださった神事の際に掛ける垂れ幕です。