遊郭街から現れたルーキー伊藤君との出会い(源九郎稲荷神社復興物語 第49話)

今回の登場人物

源九郎とよ
源九郎とよ
源九郎とよ(本名土井美苗):復興活動物語のボランティアチームスタッフ代表。 この当時は警察官をしておりました。 当時は本名を隠してペンネームの「源九郎とよ」で活躍しておりました。

中川おじちゃん
中川おじちゃん
語り部「中川のおじちゃん」:源九郎とよと一緒に神社の復興活動をスタートさせることとなる神社の総代さん。 今では神社の「語り部氏」として、雑誌やテレビなどにも取り上げられる神社の顔。 陽気で優しくてダンディーな人で、とよが第二の父と仰ぐ存在。

中川おばちゃん
中川おばちゃん
中川のおばちゃん:語り部氏の奥様。 神社の境内で四季折々のお花を育てているお花の守人。 陽気で優しくて、笑っているところしか見たことがない朗らかな人

伊藤くん
伊藤くん
伊藤くん:源九郎稲荷神社復興チームの若手メンバーをまとめてくれているリーダー的存在。源九郎とよからすれば息子、中川さん夫妻からすれば孫的な存在です。とても優秀で行動力がある男性です。
前回は、とってもいじわるな男性に源九郎とよが泣かされた話をしました。

 

めったに泣くことがないとよですが、この時は、なぜか亡くなった親友の美里の姿がやたらに浮かんで来て、涙がとまりませんでした。

 

そんなとよでしたが、中川のおじちゃんやおばちゃん、むた接骨院の院長先生、岩岸住職などに慰められながら、改めて自分の周りには優しい人ばかりいて、なんて自分は幸せなんだと、反対に感謝する結果となったのですが・・・・

 

それにしても、意味なくいじわるな人っていうのはいるものですよね。

 

前回の記事はこちら

 

源九郎稲荷神社はかつては遊郭街の中にありました。

 

さて、嫌な人との出会いの後は、すばらしい人との出会いが待っているものです。

今日は、この先とよや中川さんご夫婦が一緒に力を合わせて復興活動を進めていくこととなる、ルーキーの伊藤君との出会いをご紹介したいと思います。

 

源九郎稲荷神社がある洞泉寺町はとても小さな町です。

でも、かつては、この町すべてが遊郭街でした。

今で言うテーマパークが、洞泉寺町にはありました。

洞泉寺町のこのテーマパークを、

又春郭

といいました。

 

江戸の初期から存在した遊郭は、幕末には6軒、昭和初期には17軒の妓楼がありました。

 

現在は3軒の建物しか現存しておりません。(とよが復興活動をしていた当時は、まだ3軒現存しておりましたが、今は取り壊され駐車場となっております)

そのうちの1軒に

旧川本邸

という、とても豪華な遊郭があります。

 

現在は、県の重要文化財に指定され、「町家物語館」として一般公開されていますが、とよが復興活動を始めたころは、大和郡山市が管理しており、常に玄関扉は閉められたままで、中がどうなっているのかすらわからない状態でした。

 

旧川本邸の三階建ての建物は、今でも圧倒的な存在感をふりまいています。

とよは、源九郎稲荷神社の復興活動を始めた翌年の夏、初めてこの旧川本邸の中を、特別に見学させていただきました。(当時は市の許可がないと入ることができませんでした)

 

質素な造りが、かえって品の良さをアピールしているような内部・・。

とても平成とは思えない異空間でした。

 

大正13年に建築されたこの建物は、平成11年に解体されることになり、大和郡山市が保存活用のために取得し、現在は空き家状態となっていました。

 

遊郭の守り人ルーキー伊藤くんってこんな人です

 

この旧川本邸を見学させていただいた時に、とよはある青年と出会いました。それが、伊藤くんです。

 

伊藤君は、この旧川本邸を復興させようと、たった一人で立ち上がった若者です。

彼は、大和郡山市が助成金を出してくれるプロジェクトに名乗りを上げ、彼と彼の仲間達とで旧川本邸を蘇らせたのです。

 

細身でシャイな彼のどこに、こんなエネルギーがあるんだろうと思うくらい、活動的な青年です。

 

彼との出会いが、ひとつ大きなうねりを作りました。

それが、この後のブログでご紹介していきますが、毎年源九郎稲荷神社で開催される夏まつり

夕涼み会 in 洞泉寺

の開催プロジェクトです。

 

この祭りは、源九郎稲荷神社を良く知ってくださる方はご存知のお祭りであり、洞泉寺町の住民の方や、ボランティアスタッフで開催する手作りのお祭りなのです。

 

かつてのテーマパークまでの賑わいには及ばなかったものの、この時出会った伊藤くんと一緒に考えて開催した夕涼み会は、始めての企画にしては大成功でした。

 

彼との出会いがなければ、源九郎稲荷神社の夕涼み会は存在しなかったと言っても良いくらい、夕涼み会は、大和郡山市をこよなく愛する若者の思いが込められたお祭りとなりました。

 

今回は、そんなルーキー伊藤君のことをご紹介します。

 

伊藤くんは、もちろん幼少期から大和郡山市に住んでいる地元民です。

毎日、下駄を履いて、自転車で大和郡山市の端っこの山間から中心部に下ってきます。

 

当時は、建築を学んでいる学生さんでした。

 

今は、大学を卒業して、もっともっと大和郡山市に深く関わる仕事をしております。

 

当時の彼は、まだまだ若くて、色んなことに一喜一憂していました。

落ち込んだり、はしゃいだり・・・

 

とよからしたら息子のような存在で、復興活動を終えた後、彼と色んなことを話しながら、洞泉寺町から近鉄郡山駅までの間を並んで歩きながら帰るのが、当時のとよのスタイルになっていました。

 

きっと、友達とかに遭えば、「息子さん?」って聞かれると思います。

こんなすごい子が、息子なら私はとても幸せです(≡^∇^≡)

とてもハンサムですしね~!!

 

さて、この伊藤くんですが、ハンサムなだけじゃなくて、本当に凄い子なのですが、何がすごいかと言いますと・・・

 

まず、彼が成し遂げてきたことからお話したいと思います。

 

彼は、郡山高校時代にブラスバンド部に所属していました。

 

で・・・その時、郡山市長にある手紙を書いたのです。

それは、「郡山で音楽祭をさせてほしい」というお願いの手紙でした。

 

彼は、

伊藤くん
伊藤くん
誰かに郡山は何があるのですか?と聞かれたときに、何もありませんとみんなが言っているのがとても悲しい。

郡山にはすばらしい物がたくさんあるのに・・

だから、郡山ではこんなにすばらしい音楽祭が開催されますと胸を張って言えるように、音楽祭をやらせてほしい

そんな内容のことを、手紙にしたためたそうです。

 

すると・・・・

すぐに郡山市長の秘書室から電話が・・

 

そして、現上田市長がじきじきに学生の伊藤くんに会われ、音楽祭を開催すると約束してくださったそうです。

まぁ、この市長さんも凄い方ですよね。

 

なにせ、上田市長さんは元高校の先生だったので、若者の熱い気持ちをしっかりと受け止めてくださいました。

 

その音楽祭は、それから毎年、大和郡山市の恒例行事として開催されています。

3回目の開催時に、彼のコメントが大和郡山市の機関紙である瓦版元気城下町」で紹介されたので紹介しますね。

 

何もわからないままのスタート、

それでも4000人あまりの人に来ていただいた2009年、

平城遷都1300年祭記念事業として開催、

8000人を超える方々と一緒に私達も楽しむことが出来た2010年。

こおりやま音楽祭”樂” は新たなスタートを切ります。

さらに跳ねます。

ジャンプします。

マーチングはもちろんさらにグレードアップ、

また新しい会場を加え、音楽祭に一緒に城下町を散策していただけるような仕掛けを考えています。」

ということで、たった一人の学生が、郡山市長のハートを動かし、そして多くの人のハートを動かし、こんなにすごいイベントにまで発展したのです。

おそるべき若者です。

でも・・・彼のすごいところは、それだけではありません。

2010年、彼はまたまたたった一人で、町おこしのプロジェクトを考え、第一歩を踏み出しました。

その内容も瓦版元気城下町で紹介されています。

「下駄を履いて自転車で颯爽と走り回る・・・

言葉にすれば珍妙なその姿の彼は、知る人ぞ知るというさとし。

なんだかあちらこちらでその姿が・・・。

そんな彼が今中心となって活動しているプロジェクトのひとつについて語ります。

城下町・郡山の一角、かつて色町だったエリア、洞泉寺町の路地を進むと木造三階建ての大きな楼閣「旧川本邸」が見えてくる。

大正13年の建築で、平成11年に市が保存活用を目的に買収したものの、厳しい市の財政状況も含め様々な課題を抱えたこの建物は、これまで空家のまま使われることなく半ば放置されてきた。

私はこの建物をまちのために活かしたいと、昨年夏から建築士や学生、市民ボランティアを募り、清掃を行ってきた。

最近は見学者を案内できるまでにあり、「建物が息を吹き返してきた」と思う。

「郡山には他にもすばらしい建物が残っている。

この建物をきっかけに郡山の古い建物や町並みが注目されるようになればいい。

別々にボランティア活動をしていた者たちが1つの復興チームとなりました

 

ちょうど、とよが中川さんご夫婦と、源九郎稲荷神社の復興に奮闘していたとき、すぐ目と鼻の先で、伊藤くんも奮闘していのです。

 

そして、2011の年夏・・・彼と出会い、「復興」という二文字を胸に秘めた私達は意気投合し、夕涼会を開催するところまでたどり着きました。

伊藤くんの仲間、とよの仲間がそれぞれ出会い、力を合わせて同じ目標に向かって突き進すすむことができました。

 

当時、とよは警察官、伊藤くんは学生さん

それぞれ、仕事と学業の合間を縫っての復興活動でした。

 

正直、体力的にはとても厳しい中でボランティア活動でしたが、とてもやりがいがありました。

 

ある日、伊藤君がとよに

伊藤くん
伊藤くん
時々、逃げ出したくなるときがあります。

・・・でも、逃げることはできないんですよね~。

やりだしたからには・・・・

ポツリと言いました。

 

とよも同じ思いでした。

 

本業で辛いことがあったとき、源九郎さんでのボランティア活動がとても負担になることがありました。

源九郎とよ
源九郎とよ
休みの日は休息を取りたい・・・

もっと自分の好きなことに時間を使いたい・・・

そんな思いに駆られながらも

・・・足は自然に源九郎稲荷神社へ・・・。

 

逃げ出したいという思いとうらはらに、当時のとよを支えてくれたのは、源九郎稲荷神社そのものでした。

源九郎稲荷神社に行けば、どんなに辛いことがあっても心は癒されます。

 

そして、中川のおじちゃん、おばちゃんの顔を見れば、嫌な事はすべて吹っ飛びます。

 

きっと、伊藤くんも、旧川本邸という存在があったからこそ、学生業もボランティア活動もがんばれたんだと思います。

そして、同じような大切にしたいもの、復興させたいものの存在がある私達は、いつしか戦友になっていきました。

 

とよは、当時、

源九郎とよ
源九郎とよ
伊藤君となら、何かとてつもないことができる

ような、そんな気持ちにさせられました。

 

中川さんご夫婦も、孫の様に伊藤君のことを可愛がって、そして頼りにしていました。

そういえば、中川のおじちゃん、とよ、伊藤君の3人で、源九郎稲荷神社の境内で、洞泉寺町のことについて、日が暮れるまで、いつまでもいつまでも、とても長話をしていたな~。

 

あの頃がとても懐かしいです。

 

とよと中川のおじちゃん、伊藤君の3人は、丁度、三世代の年齢の開きがあります。

 

あの頃、そんな世代の違う3人が、まるで仲の良い友人のように、いつまでもいつまでも夢を語りあっていたのです。

本当に、人の縁というのは不思議なものだと思います。

 

伊藤君は、持ち前の勇気と行動力で、音楽祭を開催させたという、とんでもない経歴を持ち、

 

とよは警察時代に「犯罪被害者ネットワーク」という、とても大きなネットワークの構築を推進した経歴がありました

 

また、中川のおじちゃんは、大和郡山市で何十年と様々な地域活動や保健所の活動等を展開している地域の中心人物であり、また長い間自治会長を務められています。

そんな3人が、それぞれの経験とそれぞれの協力者の力を借りて、この後、この洞泉寺町に、ひとつのうねりを作り出していくのです。

 

まだ、3人はほんの1歩を踏み出しだけですが、

 

・奈良県には、大和郡山市というすばらしい文化遺産地区がある

・大和郡山市には洞泉寺町というすばらしい町がある

 

という、スローガンを胸に抱き、この後、他の多くの協力者の方達と一緒に、復興活動を推進していくこととなるのです。

 

物語の続き第50話はこちら

復興活動物語の目次はこちら

 

源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクスパ経営奮闘記」

 

源九郎とよ
源九郎とよ
源九郎稲荷神社がある程度復興して、多くの方が参拝に来てくださるようになった2014年、とよはある決意をします。

 

それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。

とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。

 

なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。

 

でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。 

 

元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語