源九郎稲荷神社へと導いてくれた親友美里の再入院(源九郎稲荷神社復興物語 第19話)

今回の登場人物
源九郎とよ
源九郎とよ
源九郎とよ(本名土井美苗):復興活動物語のボランティアチームスタッフ代表。この当時は警察官をしておりました。当時は本名を隠してペンネームの「源九郎とよ」で活躍しておりました。
おじいちゃん宮司さん
おじいちゃん宮司さん
おじいちゃん宮司さん:先代の宮司さん。ご高齢で吉野から通われていましたが、ガンでお亡くなりになりました。
美里
美里
美里:とよの親友。癌で余命3か月の命。とよの警察同僚のHくんとは高校の同級生
Hくん
Hくん
Hくん:とよの元同僚で、とよの病気の親友「美里」とは高校の同級生でもある。彼はとよがタイに来てからは、とよの変わりにお掃除隊「心洗組」のリーダーとして神社の掃除を行ってくれている。

 

源九郎とよが源九郎稲荷神社のお掃除を始めるきっけとなったのは、親友美里が大腸がんで余命宣告をされたことが始まりでした。

 

そして、その美里は昔働いていた大学の学生であった筋ジストロフィーの少女「みっちゃん」に、励まされながら闘病生活を続けていました。

 

けれど、そのみっちゃんが長い長い闘いの末、お正月に亡くなってしまいました。

 

前回の記事はこちら

 

美里は

美里
美里
覚悟ができていたから、私は大丈夫

と言っていましたが、とよは共に病気と闘っていたみっちゃんがいなくなったことで、美里の容態が一気に悪くならないだろうか・・と、とても心配でした。

 

美里は相変わらず、抗がん剤治療を受けていましたが、だんだんと効かなくなってきてきていると漏らしていました。

 

新しい抗がん剤が出るたびに、チャレンジしていましたが、ともて辛そうでした。

 

治療を受けているときは、メールをしても全く返って来ないので、とよは返事があるまで、いつも不安な時間を過ごしました

 

また、いつ美里の容態が悪くなったと連絡が入るかわからないため、電話が鳴る度に、着信名を確認するのが怖くなりました。

 

 

 

だんだんと美里が弱っていくのを感じながら、とよは世界遺産の街「斑鳩町」の交番所長として、今まで経験したことのない仕事をこなしていました。

 

長い間、刑事警察の仕事しかしてこなかったとよは、犯罪の被害者、被疑者と接してきましたが、普通の地域住民の人達と共に何かをするという経験は初めてでした。

 

警察の仕事には司法的な仕事と行政的な仕事があり、刑事の仕事は司法的な仕事、交番での仕事は司法&行政的な仕事の両方を担うのですが、交番所長としてするべき仕事は大半が「行政的な仕事」でした。

 

そのため、とよは地域の有権者、防犯パトロール隊の方や、保護司さん、役場の方等と連携を取りながら、「より安心で安全な街づくり」というものに取り組んでおりました。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
どうすれば、より安全な街が作れるんだろう?

ということを日々、地域の住民の方達と考え、様々な取り組みを進めてきました。

 

とよにとっては、警察人生の中で、この交番所長をしている時が一番楽しかったなと思います。

 

というのは、自分のアイデアで色んな施作を提案し、それを地域の人達と一緒に作り上げるという内容の仕事が多かったため、様々な職種の地域の方々とチームを組んでプロジェクトを進めていくことから、色んな意見や考え方を知ることができたからです。

 

警察だけの考えで進めると、どうしても抜け落ちてしまうことがたくさんあります。

また、縦社会の警察ではトップのOKが出ないと何もできません。

 

そいういう点では、地域で進めるプロジェクトなので、警察上層部の許可がなくても可能なことが多く、とよが中心となって動きながらも報告上は、警察はあくまでお手伝いするだけで、地域の方がやるプロジェクトという形を取ることが可能だったからです。

 

けれど・・・

ちょうど地域で行う子供の見守り活動等が活発化していた流れもあったことから、比較的、とよの上司も理解を示してくださり、活発的に動くことができました。

 

とよは、とても精力的に動き、様々なプロジェクトを形にしていきました。

 

その背景には、常に

源九郎とよ
源九郎とよ
病気と闘っている美里には負けられない

という思いがありました。

 

(交番所長時代のとよです)

 

とよの勤務地であったユネスコ世界遺産の街「斑鳩町」は、とても古い街ではありますが、活気のある美しいところです。

 

世界遺産の「法隆寺」「法起寺」があるエリアは、建築物としての価値、仏像の美しさ、景観・・どこを切り取っても素晴らしく、歴史的価値のとても高いものばかりなのです。

 

そして、そこに住む人々は、温かくて、優しくて、親切であり、とよはこの街が大好きでした。

 

後に・・・この街で知り合い、とよと一緒に地域の活動を行った住民の中から、源九郎稲荷神社の復興に尽力をくださる藤本さんと中野さんが現れることとなります。

その方達の働きがなければ、先ず復興活動の第一歩が始まりませんでした。

 

なので、今から考えると・・・とよが、源九郎稲荷神社の掃除を始めた時期に、斑鳩町に移動になったということも、必然的な理由があったような気がするのです。

 

振り返ると、以前にもお話しましたが・・・

とよは、ずっと小さい頃から「聖徳太子」さんとの縁があったように思います。

 

とよが幼少期を過ごしたのは「聖徳太子」建立のお寺である四天王寺のすぐ側でした。

そして、とよが高校時代から通い詰めるようになった信貴山奥の院は「聖徳太子」建立の寺です。

さらにとよが警察の最後に勤務することとなったのが、「聖徳太子」の街、斑鳩町です。

 

よく、斑鳩町で出会った地域の防犯委員をされていたHさんが、

斑鳩町地域役員 Hさん
斑鳩町地域役員 Hさん
とよさんが斑鳩町にやってきたのは、聖徳太子さんの縁や

と言っておりました。

 

そう考えると、とよは聖徳太子さんにとても縁があるかもな〰と思います。

 

 

そしてこの聖徳太子さんの街で生まれ育った地域の方々が、後に源九郎稲荷神社の復興活動に力を貸してくださるようになるとは・・・・。

 

なんか、人と人との繋がりの様に見えて、人間同士の縁にとどまらず、実は、神様や仏様同士の繋がりが大きく働いていると考えると、とても素敵だなと思います。

 

けれど、こんな風に大きく人を動かす力がある神仏ですが、美里の病気の進行を食い止めてはくれませんでした。

人に定められた寿命・・・というのは、神仏でもどうすることもできないものなのかもしれません。

 

とよが、精力的に仕事をこなすようになっていた頃、美里の病気はどんどん進行していたのです。

 

親友美里の再入院

 

2009年6月・・。

また、美里との共通の友達であるHくんから電話がかかってきました。

 

彼がとよに電話をしてくるときは美里のこと以外にはありません。

 

とても嫌な予感がしました・・・。

Hくん
Hくん
あいつ、また入院したらしいわ・・・。友達の誰にも入院したこと言ってないみやいや・・。

弱っている姿を見られるのが嫌なんやろうと思う・・。

悪いけど、一度行って様子を見てきてくれへんかなあ

 

やっぱり、予感どおりでした・・・。

 

しばらく、美里からはメールの返事がなかったので、治療がかなり辛いんだろうなと思っていました。

 

 

6月29日、とよは、美里が入院したという病院を訪れました。

 

でも、Hくんから聞かされていた病室には違う人がいました。

ナースステーションで、美里の病室を聞きましたが、本人の希望で教えられないと言われました・・。

 

でも、このまま帰るわけにはいかない・・・。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
こうなったら、全ての病室を覗いて探すしかない

と思いました。

 

あきらかにとよの行動は、不審者の行動でしたが、とよは、ナースの目を盗みながら1つ1つの病室を覗いて美里を探しました。

 

そして・・・。

名前の表示のない個室に美里はいました。

 

美里はとよの顔を見ると

美里
美里
もう!信じられへんわ!!誰にも言ってないのに!

 

ベットに横たわりながら叫びました。

 

けれど、叫び声の主は、とよの知っている美里ではありませんでした・・。

とよは、ショックでしばらくその場に立ち尽くしました。

 

 

美里の顔は、広島に行ったとき原爆記念館で見た被爆者の写真のようでした。

顔の皮膚がめくれてとてもひどい状態になっていました。

 

そして、体は骨と皮の状態になっていました。

 

美里
美里
すごいことになってるやろ・・。抗がん剤の副作用やねん

 

美里は本当に辛そうにそうつぶやきました。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
なんてこと・・・

とよは、そう言うのが精一杯でした。

 

美里
美里
こんな姿みんなに見られたくなかったから、誰にも入院したこと言ってなかったのに、どうやってこの病室さがしたん?
源九郎とよ
源九郎とよ
一部屋づつ見て回った・・・
美里
美里
あきれるわ!!でも、あんたらしいけど・・・。
源九郎とよ
源九郎とよ
体調はどうなん?しんどい?
美里
美里
今、体重が32キロしかないねん。身長172センチの私がやで~

 

美里
美里
最初効いていた抗がん剤が効かなくなって、新しい抗がん剤を色々と試してるねんけど、今回のが副作用がきつくて、肌がこんな状態になってしまってん・・。

この前クリーニークの夏用化粧品一式買ったばかりやのに~

源九郎とよ
源九郎とよ
みんな心配してるよ

 

美里
美里
ありがとう。でも、みんなには見舞いに来るなって言っといてね。

こんな顔見られたくないし・・・。

 

元気になったらみんなに連絡するからね。

私、絶対にあきらめないし、負けないから!!

源九郎とよ
源九郎とよ
わかった・・・。

 

とよは、ほとんど美里に声をかけてあげることもできず、病院を後にしました・・・。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
あの綺麗な美里が、あんなひどい姿になるなんて・・・。

あんなに痩せ細って・・・。

なのに、まだ頑張るって言って・・・。

なんで、あんなに頑張れるんだろう・・。

なんで、あそこまで戦えるんだろう・・・

 

その後、とよは郡山八幡宮の拝殿の前に立ち尽くしていました。

 

宮司さんの奥さんに会いたいと思いました・・・。

でも、あいにく奥さんは出かけられておらず、お会いすることができませんでした。

 

源九郎さんにも行きましたが、宮司さんはその日も不在でした。

 

この時の私は、美里との別れの時期がいよいよ迫っているようで、ひとりではかかえきれない不安と恐怖を感じて、その気持ちをどう消化したらいいのかわからず、かなりパニックになっていました。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
このまま美里は死んじゃうんだ・・・

そんな呪文のようなつぶやきが、頭の中でグルグルと繰り返されました。

ところがその後、途方に暮れながら郡山の商店街を歩く私に

 

「どんなことでも、けっして、がんばることをあきらめてはいけない」

 

という勇気をくれる人との新しい出会いが待っていたのです。

 

次回第20話の記事はこちら

 

復興活動物語の目次はこちら

 

源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクスパ経営奮闘記」

 

源九郎とよ
源九郎とよ
源九郎稲荷神社がある程度復興して、多くの方が参拝に来てくださるようになった2014年、とよはある決意をします。

 

それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。

 

なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。

 

でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。 


 

元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語