郡山八幡さんの神棚を祀る「むた接骨院」の院長との出会い(源九郎稲荷神社復興物語 第20話)

今回の登場人物
源九郎とよ
源九郎とよ
源九郎とよ(本名土井美苗):復興活動物語のボランティアチームスタッフ代表。この当時は警察官をしておりました。当時は本名を隠してペンネームの「源九郎とよ」で活躍しておりました。
おじいちゃん宮司さん
おじいちゃん宮司さん
おじいちゃん宮司さん:先代の宮司さん。ご高齢で吉野から通われていましたが、ガンでお亡くなりになりました。
美里
美里
美里:とよの親友。癌で余命3か月の命。
むた接骨院院長
むた接骨院院長
むた接骨院院長:地域密着型の接骨院を経営されています。地域住民から愛される人柄の院長先生は、タイで治療院を経営する源九郎とよの目標とする治療家です。

 

源九郎とよが源九郎稲荷神社のお掃除を始めるきっけとなったのは・・・・

親友美里が大腸がんで余命宣告をされたことがきっかけでした。

 

美里は、諦めずに抗ガン剤の治療を続けた結果、小康状態になり一時退院することが可能となりました。

そして1年余り、自分のやりたいことをして毎日を送る生活を手に入れることができました。

 

けれど、そんな美里も、彼女を支え続けていた筋ジストロフィーの少女「みっちゃん」の突然の死により、一気に病状が進み、再び再入院することになってしまったのです。

 

前回の美里の再入院の記事はこちら

 

地域密着型タイプの接骨院「むた接骨院」との出会い

 

とよは、再入院した美里を病院に見舞いましたが、あまりにも痩せて変わり果ててしまった美里の姿を見て、言葉を失ってしまいました。

 

そして、病院を後にしたとよはその足で、美里のことでずっと相談に乗ってくれていた郡山八幡宮の宮司の奥さんに会い行きましたが、あいにく宮司の奥様は不在でした。

 

次に浮かんだ顔は源九郎さんのおじいちゃん宮司さんでしたが、通い宮司さんだったので、この日は神社には来られていませんでした。

 

とよはどうしていいのかわからない自分の気持ちをコントロールできないまま、大和郡山市の商店街をホーッと歩いていました。

 

とよは、ずっーと下を向いて歩いていたのですが、ふと顔をあげたとき、「むた接骨院」という黄色い看板が目に入ってきました

源九郎とよ
源九郎とよ
こんなところに接骨院ができてる

と思いました。

 

この通りは「接骨院通り」と呼ばれるくらい接骨院が多くて、10メートル歩けば接骨院があるという位、接骨院の激戦区でした。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
いっぱい接骨院があるのに・・・。

と、このお店を開店させた人ってチャレジャーだな~って思いました。

源九郎とよ
源九郎とよ
なんか頭がぐゃちゃぐちゃだし、仕事で痛めた首が痛いし、接骨院で治療をしてもらったら、少しはすっきりするかな~

 

と思い、とよは、そのお店の扉を開けました。

 

すると、中から40歳位の男性が出て来て、とてもさわやかな笑顔で迎えてくれました。

 

その人がここの院長先生であることが、後からわかりました。

 

最初、保険請求の関係の書類を書かされたのですが・・・・

むた接骨院院長
むた接骨院院長
楷書でお願いします

と言われたのに、美里のことで頭が回っていなかった私は、普通に崩して名前を書いてしまいました。

 

むた接骨院院長
むた接骨院院長
う~ん。すみません。

もう一度書いてもらえますか?

 

と、院長先生は、もう一枚用紙を差し出しました。

これが、とよと牟田先生の始めての出会いでした。

 

お店は6月12日にオープンしたばかりだそうで、スタッフは牟田院長先生を含めて3人でした。

 

お店は、カーテンなど仕切りがなく、とてもオープンでした。

ただ、店内に入った瞬間に、なぜか、とても綺麗な気が流れているように感じました。

 

店内を見渡すと、西壁に神棚がありました。

あまりない形をしていたので、特注の神棚のように思えました。

 

この時は、その神棚に祀られている神様がどなたであるのか聞けなかったのですが、しばらくして、それが郡山八幡さんであることがわかりました。

源九郎とよ
源九郎とよ
きちんと神棚を祀っているなんて、今どきめずらしいな~

 

と感心しました。

源九郎とよ
源九郎とよ
どおりで、とてもいい気が流れているのか

と思いました。

 

牟田院長先生に施術を受けながら、色々と話を聞いていると、

むた接骨院院長
むた接骨院院長
地元である大和郡山が大好きで、どうしても大和郡山でお店を開きたかったので、接骨院の激戦区であるとわかっていたけれど、あえて挑戦しました。

カーテンなどの仕切りをしていないのは、患者さん同士が語らいあったり、スタッフと患者さんが気軽に会話できるようにしたいからです。
むた接骨院院長
むた接骨院院長

むた接骨院院長
むた接骨院院長
できるだけ機械を使わずに、手技で治療をしたいと思っています。手で治すのが一番効果があるんです。

ということでした。

話を聞きながら、とよは

源九郎とよ
源九郎とよ
お店のポリシーがとてもはっきりしていて、すごくいいな~

 

と思いました。

源九郎とよ
源九郎とよ
それに、とても時間をかけて手技で治療をしてくれるし、マッサージもとてもうまいし、今まで行った接骨院にはないスタイルだな~

 

牟田先生と話をして、そんなことを考えているうちに、美里のことで不安だった気持ちが、徐々に薄れていくのがわかりました。

 

とよは、

源九郎とよ
源九郎とよ
この先生も、こんな激戦区にお店を開いて、きっと本当はとても不安なんだろうな~。

でもすごく一生懸命で、すごく好感が持てるよな~。

この人も美里と一緒で夢をかなえるために戦ってはるんだな~。

なんか応援したくなる人だな~。

 

って思いました。

 

そして、治療を終えて帰るとき、

源九郎とよ
源九郎とよ
お店の宣伝、友達とかにしときますね。

 

って先生に声をかけたら、

むた接骨院院長
むた接骨院院長
願いします。
チラシがあるので持って帰ってください

 

と言って、チラシを20枚くらい渡されたのです。

 

ちょっとそれは他力本願でしょう~

と思いましたが、それほどその先生が必死なことが伝わってきて、

その飾らない人柄が、とてもほほえましく思えました。

 

そんな牟田先生の一生懸命な姿を見ていると、とよは

源九郎とよ
源九郎とよ
ここにもがんばっている人がいた。

やっぱり、がんばるってことはすごいことなんだ。

美里もあんな状態になりながら、必死でがんばっている。

けっして戦いから降りようとはしない。

なのに、私がもう美里は駄目なんだって、勝手にあきらめていた。

けっして、最後まであきらめちゃ駄目なんだ。

と思えるようになっていました。

 

・・・そして、お店を出る頃には、自分の気持ちがともて前向きになっていることに気がつきました。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
美里が戦っている以上、私も絶対にあきらめないぞ

 

そう自分に誓っていました。

 

この後とよは、牟田先生に随分美里の話を聞いてもらうことになります。

 

そして、体と一緒に私の気持ちも先生に癒してもらっていたことに随分後になってから気がつくのです。

 

牟田先生は、その後、本格的に源九郎稲荷神社の復興活動を始めたとよの相談にのり、へとへとになった私の体を元気にしてくださる頼もしい存在となりました。

 

また、先生の生き方、考え方、がんばり方が、色んな意味でこの先の私の道しるべとなりましたし、この接骨院での先生やスタッフの仕事ぶりを見て、

源九郎とよ
源九郎とよ
こんな風に、誰かの身体を癒せる仕事は素敵だな

と思うようになりました。

 

そして、とよは数年後、バンコクでスタッフに理学療法士を招き入れ、整体院とエステとが一緒になった治療院&スパを経営することになるのです。

バンコクのとよのお店のスタイルは、完全地域密着型であり、一部の治療以外は、機械を使わずすべてオールハンドで行います。むた接骨院がこだわる「手技」というものに、とよもとことんこだわっております。

 

なぜなら、手技にこだわるということは技術に自信があるということだからです。

 

そして、待合室も施術室も個室ではありません。

 

さすがに施術室は、カーテンやパーテーションで仕切りはしておりますが、お友達や家族で来られるお客様の場合は、カーテンをしないで、横並びのベットで施術を受けていただくこともできます。

 

また、待合室でお茶を飲みながら、お客様同士が話し込んで帰られることも多々あります。

施術後に、とよと1時間くらい話し込んで帰ら得るお客様もたくさんおられます。

 

中には、マタニティブルーになれていたお客様を、たまたま待合室で同席された子供がいらっしゃるお客様に励ましていただいて元気になられるといったこともありました。

 

これはむた接骨院のスタイルを真似させていただいたものであり、慣れない異国で精神的にも不安を抱えていらっしゃるお客様同士が、RENEスパという場所を通じて縁を結び、お互い励ましあえる関係になれたらいいなと思うからです。

 

この前、初めてのお客様から待合室が個室になっていないと文句を言われました。

お母さん3
お母さん3
待合室で他のお客様と一緒になって目が遭ったら気持ち悪いでしょ

と言われました。

 

とよは、すぐにそのお客様にお帰りいただきました。

 

客様が望まれることはそれぞれ多種多様ですが、個室でプライベートな施術を望まれる方は、そういったお店に行っていただければ良いと思います。

おそらく、そういうお店の方が多いと思います。

 

でも私の治療院は、お客様同士が気軽に話ができる店でありたいと考えています。

 

そして、それはむた接骨院に通っている時に、とよ自身が、他のお客様と色んなお話しをすることができ、楽しい時間を共有させていただいた経験があるからです。

 

観光エリアから少し離れた場所にある地元のタイマッサージ店は、ほとんどがむた接骨院のような感じです。

地域に住むタイ人がマッサージを受けに来ては、楽しくおしゃべりをして行きます。

 

とよがめざすお店のスタイルは、まさしく、日本人のお客様が気楽に来ていただけるタイマッサージ店の日本番みたいな感じなのです。

 

美里の再入院をきっかけに、たどりついたむた接骨院ですが、この場所が将来、とよがバンコクで治療院を経営するようになった際にいろんな点で参考になる店であったのです。

 

むた接骨院に飾られていた「大和郡山八幡宮の神様」が結んでくださった縁だったのでしょうか? そして、とよにはこの先まだまだ、色んな人との数多くの出会いが待っていたのです。

 

けれど・・・その前には、大切な親友である美里との別れが待ち受けておりました。

 

次回第21話の記事はこちら

源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクス経営奮闘記」

 

源九郎とよ
源九郎とよ
源九郎稲荷神社がある程度復興して、多くの方が参拝に来てくださるようになった2014年、とよはある決意をします。

それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。

なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。

でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。 


元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語