源九郎稲荷神社のおじいちゃん宮司さんと一緒にお正月の準備
夏が終わり、秋がやってきました。
そして、やがて季節は冬に変わり、12月・・・。
どこの神社も、お正月の用意で大変な時期になります。
とよも、宮司さんから出頭命令が来て、12月中の休日はお正月の準備の手伝でほとんどつぶれてしまいました。
落ち葉の掃除から、トンドの準備、社務所の掃除・・・。
と言いたくなるくらいこき使われました。
宮司さんは、かなりの高齢でしたが、ほとんどなんでも自分でしてしまわれる器用な方。
注連縄もすべて自分で作り、門松もお手製でした。
とよはこのときそう思っていました。
しかし、実は宮司さん自身が付き合いをシャットアウトしていたことが、後からわかりました。
だって本当は、ご近所の方はいい方ばかりでしたので・・・。
最初は、美里のことを祈願するために行っていたのが、いつの間にか、宮司さんのため・・・
に変わってきていました。
それにしても、ボロボロの神社です。
いたるところ、取り付けが悪くなってしまっていて、開かなかったり、閉まらなかったり・・・。
とよの知人の大工さんが扉の取り付けを直してくれたのに・・・
あちらこちら壊れていて、掃除だけではどうにもできない状態やねん、
と友達に愚痴ったところ、ある日、大工の旦那さんをつれてとりつけの悪い扉などを直しに来てくれました。
あいにく、その日はとよはいなかったため、友達が宮司さんと直接話しをしたらしいのですが・・・・・
後刻、友達がカンカンに怒ってとよに電話を掛けてきました。
せっかく開かなくなった扉を直してくださったのに、御礼をいうどころか、
と言ったそうです。
確かに・・・あの宮司さんなら言いそうです。
でも、本心じゃないんですよね〰
心を開いていない人には、そういう言い方しかできない方であり、本当は、とても優しい方なんですが・・・・。
・・・・と思っていた私も、何度か頭にくることがありました。
と言われてのこぎりを渡されたとよは、1日がかりで、山のように積み上げられた枝を50センチくらいの大きさに切り揃えました。
やっと終わって、くたくたになった私に宮司さんは、
と叱り付けたのです。
さすがの私もその言い方に頭にきましたが、がまんして謝りました。
とよは自分の家の掃除もありますし、もちろん仕事もあるので、結構へとへとになっていましたが、宮司さんは容赦なく用事を言ってきます。
宮司さんと二人だけで源九郎稲荷神社で迎えた大晦日
年末の掃除の間・・・いつ行っても神社には、私と宮司さんだけしかいませんでした。
とても寂しい空気が流れていました。
そして、31日の大晦日を迎えました。
やはり、大晦日の行事である年越しの大払いも二人だけでした。
社務所で、年越しソバをよばれ、宮司さんととよは二人で紅白歌合戦を見ました。
正直のところ、実家に帰りたかった・・・・のですが、とても言い出せませんでした。
と、今まで年末は自分のためにしか時間を使っていなかった頃の私が、とてもひどい奴に思えました。
そんなふうに、気ままにしていた時には、実家のありがたさなんて考えなかったな~と思いました。
年が明ける少し前から、宮司さんの祈祷が始まりました。
寒い中、二人きりで祀りごとをとりおこないました。
源九郎さんにお礼を言いました。
正月から仕事があった私は、宮司さんの祈祷が終わると帰ることにしました。
その不器用だけど、暖かい言葉が心に染みました。
その後、郡山八幡さんにお参りに行って、美里のことでお礼を言いました。
宮司の奥さんが暖かく迎えてくれました。
とても、うれし言葉でした。
でも翌年が、自分にとって大きな転機になることは、まだ知らないとよでした。
美里との別れ・・・。
新しい人達との出会い・・・。
本当に、大きく大きくとよの人生が変わり出した年となるのです。
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源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクスパ経営奮闘記」
それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。
なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。
でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。
元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語