源九郎稲荷神社の復興活動2年目は、多くの人に支えられながら、夕涼み会やはならーとなどのイベントを行い、とても賑やかに活気に満ちて過ぎてゆきました。
そしてイベントで賑わった秋が終わり、12月がやってきました。
神社も、来年の歳神様をお迎えする準備で忙しくなってきました。
そして、年末を迎え、ついにとんどの準備をする時がやってきました。
昨年は、中川さんご夫婦と源九郎とよとの3人だけで準備をしたので本当に大変でした。
なにせ、神社の境内から出た数年分のごみを燃やさなければいけなかったので、すべてはとんどにかかっていたのです。
復興活動1年目の大晦日&お正月の準備の様子はこちら
復興活動2年目の最後の大仕事トンド作り!!
前年は、源九郎とよがひとりで、亡くなられた前おじいちゃん宮司さんがやってらしたのを、見よう見真似の自己流でとんどを組みました。
このときは、見栄えがどうのこうのとは言ってられませんでしたが、今年は、もう少し見栄えよくやりたいなと思っていました。
前々から、伊藤くんが手伝ってあげると、言ってくれていたので、源九郎とよは
と、若干心に余裕がありました。
・・・・・ところが、その伊藤くんが、少し前から連絡がとれなくなっていました。
おじちゃんや、おばちゃんと、
と心配していました。
と覚悟したものの、私はここ数日間、腰が痛くて悲鳴をあげていました。
それと、仕事で怪我をした右手の親指がまだ完治しておらず痛みがあったので、スコップとのこぎりを持つことがとても不安でした。
そんなことから、神社の近くあり、前年から神社の掃除でガタガタになった源九郎とよの筋肉をケアしてくださっている「むた接骨院」に行って、院長に
とお願いしました。
その結果、とんどを作る前にテーピングをしてもらって、作業が終わったら、腰のマッサージをしてもらうことになりました。
本当に、いつも、私のわがままを聞いてくださるので助かります。
そして、朝から接骨院に行くと、むた先生が
と聞いてきました。
と説明したら、先生はその動きを計算して、右腕全体にテーピングをしてくださいました。
とよは、今までして頂いてたとおり、痛めている右の親指だけテーピングをしてもらえると思っていたので、先生の気遣いにびっくりしました。
先生は、昨年も、神社の掃除をしに行く度に「腕が痛い、腰が痛い」と悲鳴を上げていた私の面倒をみてくださいました。
あの時は、いつもあちこち打撲して、体中青あざだらけでした。
先生は、そんなとよをずっと応援してくださったし、ずいぶん励ましていただきました。
中川のおじちゃん、おばちゃん同様に、あのときの私を一番身近で見て支えてくださった存在です。
だから、今回も、私が少しでも楽に作業ができるようにと、考えて下さっていることが、とてもよくわかりました。
先生の優しさがとてもうれしくて、感謝の気持ちで頭が下がりました。
とよは、先生がしてくださったテーピングを見て、
と、改めて自分ひとりではできなかったことを実感しました。
実は、源九郎とよがバンコクでタイの理学療法士さん達と経営している理学療法治療院は、むた接骨院が目標になっています。
と先生の細やかな気遣いを見ていて、あこがれを持ったからです。
なので、「どの人にも同じ治療をするのではなく、ひとりひとりの悩みを気遣いながら適切な対応をする」という、との仕事上でのポリシーは、このむた先生を目標としているのです。
きっと源九郎さんが、後々とよの仕事の参考になるようにと、このむた先生との縁を繋いでくださったのだと思います。
また、このむた接骨院は、いつも大阪から来て下さり神殿の掃除をしてくださる木村さんの駆け込み寺でもあります。
二人して、いつもいつも、掃除でくたくたになった筋肉をケアしてもらっていました。
2年目はトンド作りを伊藤くんにバトンタッチ
トンド作りを当てにしていた伊藤君が音信不通で、源九郎とよが少し肩を落としていたところ、中川のおばちゃんが、
と言ってくださいました。
ダメモトで・・・
と思って、ダイヤルすると・・・
3回コールで、伊藤君の元気な声が聞こえてきました。
どうやら、風邪で数日間、寝込んでいたようでした。
とりあえず、入院などしていなくて一安心しました。
もう元気になったので、今からすぐに準備して行きます
・・・ということで、30分後に伊藤君が神社に到着してくれました。
伊藤君が来る前に、とんどを組む場所の砂利を取り除く作業をしていたのですが、この砂利がとても重くて・・・
それで、伊藤君が来るとすぐにバトンタッチです。
(これは、とんどの火で砂利が跳ねるのを予防するためにする作業になります)
とよは、神社の裏で、秋に市役所に選定してもらった楠の枝を、とんどを組む大きさにのこぎりで切る作業に取り掛かりました。
昨年は社務所の周り全体に、数年分のこんな枝が積み上げられていました。
それを全部取り除いたのですが、今年は、この一角だけだったので、とても楽勝でした。
おばちゃんに買ってもらった小型のこぎりで、枝を小さく切る作業をいしています。
作業中、牟田先生のテーピングのお陰で、指も腕も全然痛くありませんでした
そして、切った枝をとんどのところまで運ぶ作業へと続くのですが、途中で中川のおばちゃんも手伝いに来てくれ、伊藤君と3人で運んだので、とても早く終わりました。
枝を運んでくれている伊藤君
そして、枝を積み上げて、こんな感じでとんどを組みました。
なにせ、お金をかけていないので、私達ができるのはこの程度なのですが、これでも昨年よりはかなり見栄えよく完成しました。
枝の数が少なかったので、高さが少し足らない感じですが、今年は信者さんが持ってきてくださったお札等を燃やす程度なので、これで十分かなと思っています。
伊藤君が手伝ってくれたお陰で、とても早く作業が終わったので、本当にうれしかったです。
この後、おばちゃんが入れてくれた「おしるこ」を頂いて、体を温めました。
昨年は、1ヶ月かかって掃除をしても、先が見えない状態でしたが、今年は、毎日おじちゃんとおばちゃんが、神社の管理をしてくださっているお陰で、ほとんど手をつけるところがありません。
社務所も、半月ほど前に、おばちゃんの知り合いの大工さんが隙間を直してくれたので、皆さんに来ていただいても、なんとか寒さをしのげるようになりました。
翌日は、餅つきをすることになりました。
近所のNおばあちゃんらが手伝いに来てくださいます。
玄明院の岩岸住職さんや、神社のおとなりの洞泉寺さんから、お餅代を頂きました。
薬八幡宮の若宮司さんには、門松を作っていただきました。
こういった、気遣いがとてもうれしくて心に染みます。
たくさんの方に支えられて、源九郎さんはますます元気を取り戻してくれています。
復興活動2年目は、ほんとうに多くの人の優しさに支えられて、神社の1年が終わろうとしています。
物語の続き第72話はこちら
復興活動物語の目次はこちら
源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクス経営奮闘記」
それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。
なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。
でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。
元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語