源九郎稲荷神社の境内で、語り部夫妻の中川さんご夫婦とお会いしてから、とよ達は3人で、荒廃した神社をなんとか復興させようということを何度も話合いました。
まずは、神社を綺麗にすることから・・・
ということで、神社のお掃除に取り掛かりました。
そして、少し不思議な能力をもったかよちゃんという女性に
言われた人物である岩岸住職(吉野の金峯山寺の修験僧であり、さらに知足院玄明院という自坊の住職様)とも、とよは親睦を重ねていくことになります。
岩岸住職とも繋がった、聖徳太子さんの不思議な縁
とよは、信者さん達から岩岸住職に、桜の季節に吉野山で始めて出会ってから、住職の自坊に度々お参りに行くようになり、神仏について多くのことを学ぶようになっておりました。
クラッシックバレーのクラスと、創作ダンスのクラスの生徒さん達に、
すごいですね。
面白そう。
是非行かせてもらいますよ!!
で、どこのお寺でするんですか〰
それで、俺も何かと彼には俺なりに目をかけているねんけど、そいつが今、信貴山奥の院にアドバイザーとして行ってるねん。
というのも、奥の院は、昨年に先代の住職が病気で亡くなられて、その後を継ぐはずやった長男さんが事故で亡くなるという不幸が続いた寺やねん。
それで、今、寺を出ていた次男が戻って来て住職を継いでんやけど、経験不足に力不足やということで、岩岸くんが住職の奥さんに頼まれて時々指導に行ってるんや。
その岩岸くんの縁があって、今回、奥の院でイベントをやらせてもらうことになったんや。
尊敬する先輩キム兄の追悼登山
もうひとつ、とよには、ずっと気になっていたことがありましたが、それも実行することができました。
とよが神社の掃除に難航している中・・・秋もしだいに深まって行きました。
10月24日は、金剛山で亡くなったキム兄の命日です。
キム兄は、源九郎稲荷神社の掃除をすることとなったきっかけである親友美里と職場が一緒だった時、同じ部署で働いていた先輩警察官です。
天才的な射撃の名手であり、拳銃の教官をされていました。
美里が亡くなった時、
と、とよとふたりで誓ったのに、その数ヶ月後、彼も突然旅立ってしまいました。
その後、とよ源九郎稲荷神社へお参りにいかなくなったのは、このキム兄が亡くなってからでした。
けれど、その後に岩岸住職に出会い、神仏に不信感を持ってしまっていたとよの考えは大きく変わりました。
そして、再び源九郎稲荷神社のお参りに行けるようになり、そこで出会った語り部ご夫妻と共に、荒廃した神社を復興させることを誓いました。
そんなことから、大きく歩みを進めることができるようになったとよは、どうしてもやりたいことがありました。
キム兄が亡くなった、金剛山への追悼登山です。
このことを、キム兄を慕う共通の知人に話をしたところ、キム兄が拳銃の教官時代に教えた教え子達に声を掛けてくれました。
そして、遂に追悼登山が実現したのです。
キム兄を慕う若い子達と、そして・・・
奥さんと娘さん2人にも声を掛けました。
「1年経って、やっと山に登る決心がつきました」
そう言ってくださったキム兄のご家族も、一緒に行ってくださることになりました。
しかし・・・・あいにくの雨
涙雨だったのでしょうか・・・
雨の中、めざす金剛山転法輪寺はひっそりとたたずんでいました。
キム兄が倒れたのが、このお寺の参道になります。
そして、このお寺の方が救急車を呼んでくださったりしてくれたそうです。
キム兄が倒れた場所に行く前に、転法輪寺にお参りをしました。
あいにく、救助活動をしてくださった方はおられず、奥さんや子供さんはお礼を言えなかったことを残念がっていました。
その後、本殿にお参りに行きました。
雨がシトシト降っていることもあってか、境内はとても静かで、明治維新の廃仏棄釈の世相の煽りを受けて、廃寺になっていたというその姿をとどめていました。
こんな寂しいところで亡くなったのか・・
と思うと、悲しくなりました・・。
ところが、そんなとよの目に強烈な画像が飛び込んできたのです。
本殿の前に立てられたご本尊復刻の寄付を呼びかける看板・・
そこに写っていたのが、この法起菩薩(ほうきぼさつ)の写真でした。
とよは、この写真を見たとき、雷に打たれたように動けなくなっていました。
本当に良く似ていました。
法起菩薩さんは、金剛山を開いた役小角が金剛山で修業中に現れたそうです
そして、そのお姿を仏像にして安置されたそうです。
上の写真のように、五眼六臂のお姿で、農耕の守護神だそうです。
明治の廃仏棄釈の嵐の時には、仏教よりも苛烈に潰されたのは修験の寺です。
転法輪寺も存在を許されなくなり、仏像は壊されることになり、2m程の立像であった法起菩薩は、仏頭だけを金剛山の下の菩提寺に隠すことができましたが、胴体は破壊されたそうです。
とよは、みんなが周りからいなくなっていることも気がつかず、いつまでも、その写真に見入っていました。
後で岩岸住職に教えていただきましたが、
法起菩薩は金剛山にしか祀られていない修験道の仏様
だそうです。
吉野大峰山で役行者さんが感得された蔵王権現さんの最初のお姿だと聞きました。
しばらく仏様に見とれて、身動きができなくなっていたとよですが・・・・
はっと、周りに誰もいないことに気がついて、慌ててみんなの後を追い、本殿の横にある参道へと向かいました。
本当に本殿のすぐ横に、キム兄が倒れたという場所がありました。
とよが追いついたときには、すでにその場所に奥さんや子供さんがお花を手向けていました。
雨の中、みんなで静かに手を合わせました。
奥さんと子供さんの嗚咽が聞こえました・・。
みんな泣いていました・・。
とよも、本当にキム兄がいなくなったことを実感しました。
そう感じました。
自分達だけではいつまでたっても、この場所に立つことはできなかったと思います。
今日こうして、夫が亡くなった場所に立つことができ、あの人の冥福を心から祈ることができました。
奥さんは、涙を噛み締めながら、とよに向かってそう言ってくださいました。
とよは最初、
と悲しくなったけれど、あの法起菩薩さんの写真を見て、
そう思いました。
みんな、何か1つ乗り越えた日であった気がします。
そしてとよは、
美里が亡くなったお通夜の席で、キム兄がとよに
と言った言葉を噛みしめ
と、法起菩薩様に誓っておりました。
以前、郡山八幡宮の宮司の奥様に
と言われた言葉が頭の中で繰り返されました。
そして・・・
とよは、この誓いの後、憑りつかれたように源九郎稲荷神社の復興活動に邁進することになるのです。
復興活動物語の目次はこちら
源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクスパ経営奮闘記」
それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。
とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。
なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。
でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。
元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語