親友に続き兄と慕う先輩の死により芽生えた神様への不信感(源九郎稲荷神社復興物語 第26話)

今回の登場人物
源九郎とよ
源九郎とよ
源九郎とよ(本名土井美苗):復興活動物語のボランティアチームスタッフ代表。この当時は警察官をしておりました。当時は本名を隠してペンネームの「源九郎とよ」で活躍しておりました。
美里
美里
美里:とよの親友。癌で他界。とよの警察同僚のHくんとは高校の同級生であり、キム兄とも元同僚だった
Hくん
Hくん
Hくん:とよの親友で他界した美里の高校の同級生。とよとは警察の同僚であり、美里の死をきっかけにとよの源九郎稲荷神社での活動を知り、とよがタイに来てからは、とのの代わりにお掃除隊「心洗組」のリーダーとして源九郎稲荷神社の掃除を一手に引き受ける。
キム兄
キム兄
キム兄:とよと他界した親友美里が兄貴として慕っていた警察官の先輩。美里の分も俺がしっかりと生きて行こうと言ったにもかかわらず急死してしまう。

 

親友を亡くしてから続く各地への巡礼の旅(今度は宮崎から鹿児島へ・・)

 

暑い夏に美里が高いしてから、季節は秋へと移り変わっておりました。

 

源九郎稲荷神社の参拝と境内の掃除をするきっかけとなった親友が亡くなり、とよはしばらく源九郎稲荷神社を離れて、各地の神社等の巡礼を続けていました。

 

そんな折・・・・

とよは妹から

とよの妹
とよの妹
お母さんが、あんたら二人でばかりあちらこちらに行ってずるいとすねている。

という話を聞きました。

 

それで、妹と相談して、

源九郎とよ
源九郎とよ
九州にでも連れて行ってあげようか?

 

ということになりました。

 

とよは、源九郎稲荷神社に関わるようになってから、神社のことを少しづつ勉強するようになり、「古事記」「日本書紀」に魅せられてしまっていたので、どうしても記紀に出てくる場所を訪れたくてなりませんでした。

 

それで、今回は、ニニギの天孫降臨から、神武天皇に至るまでの日向神話に関連する場所を巡りたいと思いました。

 

まずは、フェリーで宮崎県へ。

 

青島神社から鵜戸神宮、西都原古墳群を巡りました

 

青島神社

鵜戸神宮

その後は、鹿児島県霧島エリアへ向かい、霧島神宮からえびの高原等を巡り、そして再び宮崎県へ戻り、高千穂峡の高千穂神社、天岩戸神社等を巡りました。

 

どの神社もとても美しく、心が洗われるようでした

 

霧島神宮

高千穂神社

高千穂峡

 

キム兄が急死した?!

 

すばらしい巡礼地を高千穂峡の宿泊先に辿り着きました。

 

その時期に開催されていた浅田真央ちゃんのフィギュアースケートの試合結果が気になって、携帯電話で調べようとしたところ・・・・・

なんと携帯電話に恐ろしいほど着信履歴が残っていたのです。

 

それも、普段電話がかかってくることのない人ばかり・・。

中には、上司の名前まで・・・・。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
何かあったのかなぁ。誰か何かしでかしたのかな?

 

少し不安になりながら、着信履歴のうち一番話がしやすいHくんに電話をしました。

源九郎とよ
源九郎とよ
ごめん。

ずっと車運転してたから電話くれてたの気がつかなかった。

何かあった?

あのさ、言いにくいねんけど・・・

今日、キム兄亡くなった・・・

 

源九郎とよ
源九郎とよ
はぁ?どういうこと?

 

Hくん
Hくん
金剛山で心筋梗塞起して、急死した。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
えっ・・・

 

Hくん
Hくん
職場の企画で金剛山登山をしたらしいねんけど、朝から具合が悪かったらしい。

 

一応本人は、登らずにロープウェイで山頂まで上がったらしいねんけど、自分が企画したからとかなり無理して参加したらしい。

 

下山途中に急に倒れて、山頂やから救急車がなかなか到着しなくて、そのまま逝ってしまった・・・。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
そんな・・・。

だってつい数ヶ月前に美里の通夜で、美里のぶんまで俺らががんばって生きていこうなって約束したのに・・・。

 

このあまりの突然訃報に、とよは身体が固まってしまい、宿の階段の途中で呆然と立ち尽くしていました。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
どういうこと?・・・

どうして?・・・

 

この2つの言葉を呪文のように繰り返していました。

 

キム兄というのは、とよの親友で数ヶ月前に他界した美里との共通の友人でした。

とよにとっては、元警察の同僚でもあり、尊敬する先輩でもありました。

 

キム兄は素晴らしい人でした。

とよは、彼から多くのことを学びました。

 

優しくて、思いやりがあって、同僚思いで、とても頭がよい人でした。

とよは頑固で自分の意見を押し通すところがあるけれど、キム兄は、そんなとよの意見を、いつも否定せずに

 

キム兄
キム兄
それでいい。やってみろ

 

と後押ししてくれました。

 

そうやって、とよを信頼してくれることがいつもすごくうれしくて、だからこそとよは、キム兄の信頼に応えるためには、

源九郎とよ
源九郎とよ
自分の意見だけで動いてはいけない。人の意見もちゃんと聞いて、一番ベストな方法を選択しなければいけない

ということを次第に学んで行きました。

 

 

また、キム兄は、警察学校で拳銃の教官をしていたのですが、若い時から「天才」と呼ばれるほどの拳銃操法の腕前を持っていました。

反対に、とよはとても拳銃の操法が下手くそで、いつもひどい点数しかとれませんでした。

 

ところが、キム兄が教える拳銃の授業を、生徒たちと一緒に受けるようになり、直接拳銃操法を指導してもらったところ、メキメキと拳銃の腕があがり、拳銃操法の資格の中でも最上級の「上級試験」に合格してしまったのです。

 

とにかく、キム兄の教え方がすごく上手なので、なんで今までできなかったんだろう?と不思議になるくらい、拳銃が上手になってしまいました。

 

そんな風に天才的な拳銃の腕と、指導者としても特別な能力を持っていた彼を慕う人は、とよ以外にもたくさんいました。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
どうして、美里にしても、キム兄にしても、こんないい人がこんなに若くして亡くなるんだろう。

 

生きていたら、もっともっと、多くの人を幸せにしてあげれる人たちなのに・・・。

人の寿命は、いったい誰が決めるの?

神様?

 

とよは、九州の地で神様参りをしていただけに、なぜか神様に裏切られたような気持ちになりました。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
美里やキム兄の寿命をこんなに早く断ち切ったのが神様なら、神様なんて拝みたくない・・・。

と思いました。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
何しに九州まで来て、神社に参っているんだろう・・・。

 

そんな風に考えてしまったとよは、その後、一切神社へ行かなくなってしまったのです。

 

地域に根差した心優しい人に気づかされた大切なこと

 

キム兄が亡くなってから、とよは神社にも行かなくなり、神社のことも語らなくなりました。

ただ、お家の神棚には、毎日ちゃんと神饌をお供えしていました。

自分の日々の生活だけを感謝することにしたのです。

 

も、年末になり、源九郎稲荷神社のことがとても気になりました。

 

昨年は、宮司さんに叱られながらも、お正月の用意をお手伝いさせてもらいました。

大晦日に一緒に紅白を見たことを思い出しました。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
宮司さん、一人で準備大変だろうな・・・

 

そう思いましたが、仕事が忙しかったことと、心が頑なになっていたことで、やはり源九郎さんには足を運べませんでした。

宮司さんからも連絡はありませんでした。

 

もちろん、大和郡山幡宮にも足が遠のきました。

そして、年が明けて2010年がやってきました。

 

とよは、正月早々から仕事が忙しくて、やはり、源九郎稲荷神社にも郡山八幡宮にも初詣に行きませんでした。

なぜか、お世話になっていたむた接骨院にすら行かなくなりました。

 

この頃のとよは、大和郡山の町中を歩くことすらほとんどありませんでした。

今思うと、美里と、キム兄と、大切な友達を二人も亡くしたとよの心の傷は、かなり深かったみたいでした。

 

仕事以外はジムに行く程度で、引きこもり生活を続けていました。

 

ようやく、行動ができるようになったのが、2月の下旬か3月初め頃のことっだったと思います。

 

久しぶりに、郡山八幡宮に行きました。

 

境内には、梅の花が咲き乱れていました。

甘い匂いが一面に漂っていて、とよをとても優しく包んでくれました。

 

そして、久しぶりに宮司の奥さんにお会いすることができました。

いつもと変わらぬ優しい笑顔が、そこにはありました。

 

とよは、キム兄が亡くなってどうしていいのかわからなくなったことを話しました。

 

宮司の奥さんは、

郡山八幡宮宮司奥様
郡山八幡宮宮司奥様
辛い思いをされましたね

 

と言ってくれました。

 

ただ、それだけの言葉だけど、とよには心に染み入りました。

 

 

その後、久しぶりにむた接骨院に行きました。

そこにも、やはりいつもと変わらぬ牟田先生の優しい笑顔がありました。

 

 

とよは、牟田先生に治療を受けながら、キム兄のこと、美里のことを話しました。

 

ところが牟田先生は、とよとしては始めて話す話だと思っていた話を、

むた接骨院院長
むた接骨院院長
うん。そうやったね。そう言ってたね。

 

と言いながら聞いてくれるのです。

 

 

どうやらとよは、自分では全く覚えていないのですが、美里やキム兄の話をかなりたくさん、ずっと話していたようなのです。

そして、とよが話したことを、先生はいつもちゃんと受け止めて聞いてくれていたようなのです。

 

なぜが、とても嬉しくなりました。

郡山八幡宮の宮司の奥さんも、牟田先生も、どんな人も隠し持っている心の襞を、さりげなく優しく見つめることができる人なんだと思います。

 

人はそれぞれ、色んな悲しみや辛さを抱えています。

そして、それを乗り超えるために戦っています。

大切な人を失った人も、

病気の人も、

震災に遭った人も、

仕事で大変な人も、

愛に破れた人も、

その戦い方は色々あるけれど、最後にはたった一人で、愛と勇気を武器に戦わなければいけません。

 

けれど、戦った後に、

自分を支えてくれた人や、

励ましてくれた人や、

勇気を与えてくれた人

に感謝して、その人達にちゃんと笑顔で会えることが、とても大切で幸せなことなんだなと・・・・

 

この日、とよはしみじみと感じました。

 

とよも、

源九郎とよ
源九郎とよ
このお二人のように、地域に根付いて、地域の方々を元気にして、勇気を与えれらるような、そんな存在になりたい・・・。

そう思いました。

 

かつて、郡山八幡宮の宮司の奥様はとよに言いました。

郡山八幡宮宮司奥様
郡山八幡宮宮司奥様
神様はお願いをする存在ではなくて、あなたの志を誓う存在です

とよは、そのことを忘れていたのです。

 

神様が、全てのことを決めるのではありません。

神様は、私達の人生を決める存在ではなく、願い事を聞いたくださる存在でもなく、生きている私達を見守り、励ましてくださる存在なのです。

 

とよは、病に倒れた美里の力になり、彼女に負けないように自分も力強く生きることを源九郎稲荷神社の神様に誓ったはずです。

そして、そんなとよを、ずっと温かく見守り、励ましてくれたのも源九郎稲荷神社の神様でした。

 

さらに、神様に見守られながら、とよは大和郡山という地域で精一杯生ている、

郡山八幡宮の宮司の奥さまや、

美里の好きな紫のお花をいつも用意してくれていた「ほりうち」お花屋さんや、

とよの話を黙って聞いてくれていたむた接骨院の院長先生

等に、知らず知らずのうちに励まされていたのです。

 

とよがこの後・・・・

「源九郎稲荷神社の復興」にがんばろうと思ったのも、「源九郎稲荷神社に行けば、勇気をもらえる」という場所を作りたいと思ったからです。

 

この時のとよにとっては、何かあったときの駆け込み寺、それが「郡山八幡宮」「お花屋ほりうちさん」「むた接骨院」でした。

 

なので・・

源九郎とよ
源九郎とよ
いつか、源九郎稲荷神社も町の誰かにとっての、そういう存在になれればいいな・・・

と思いました。

 

その思いがこの先のとよの夢となるのです。

 

とよは、そのことを、まだこの時点で気づいていませんでいたが、その夢に向かっての再出発が、そろそろ始まろうとしていたのです。

物語の続き第27話はこちらから

 

復興活動物語の目次はこちらから

源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクスパ経営奮闘記」

 

源九郎とよ
源九郎とよ
源九郎稲荷神社がある程度復興して、多くの方が参拝に来てくださるようになった2014年、とよはある決意をします。

 

それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。

とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。

 

なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。

 

でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。 


 

元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語