前回は、源九郎とよに源九郎稲荷神社に来ることのきっかけを与えてくれた、癌闘病中の親友美里との、お別れ前の最後の時間について書きました。
そんな美里とも、とよが一番恐れていたお別れの時間が、ついに来てしまいました。
今回は、とよを源九郎稲荷神社と導いてくれた親友美里が亡くなった後の異変について書いております。
(美里の闘病中の記事やお別れについては、ご家族の了解を得て彼女の闘病記録として記録させていただいておりますが、彼女の壮絶な病気との闘いを見てきたとよは、この美里の闘病を通じて、なんとしても源九郎稲荷神社を復興させなければという強い思いを持つことができました。)
復興記録の第1章前段は、「源九郎とよがなぜ源九郎稲荷神社の復興活動をすることになったのか」という部分についてのお話になるので、とよ個人のことを書いている部分がとても多いのですが、とよ自身が経験した神仏の不思議な縁をどうしても綴っておきたかったため、かなり詳細に書かせていただいておりますのご了承ください。
長い戦いを終え安らかに逝った親友美里
8月12日午前5時15分
とよの親友美里が息をひきとりました。
Hくんから電話をもらったとき、とよは仕事中だったこともあり、涙も出ませんでした。
実感が湧きませんでした・・。
ただ、ただ・・・
最後に見た、美里の最後の後ろ姿が脳裏から消えませんでした。
それから・・翌日美里の通夜が執り行われました。
思ったより、参列者が少ないことにびっくりしました。
とても意外でした。
実は、美里は、自分が入院したこを誰にも知らせていませんでした。
美里の家族と懇意にしている高校の同級生であるHくん筋の者だけが、連絡を回して美里の通夜に駆けつけたのです。
美里は天理教だったので、通夜は神式で行われました。
祭壇の美里の写真の顔は、入院して髪を切ってからの写真だったのか、美里らしくありませんでした。
美里は、ロングヘアがとても似合っていたので、短い髪の美里は別人のように思えました。
そうやって、祭壇の美里の写真を見ても、とよは、美里の死を自分の心の中で受け止められないでいることに気がつきました。
明日もまた、病院にお見舞いに行ってしまいそうでした。
悲しいという感情が全く湧いてこないのです。
通夜の席で、美里と一緒に仕事をしていた当時の同僚と会いました。
その男性は、「キム兄」と言って、とよも美里もとても彼を慕っていました。
温厚で、優しくて、一緒にいるだけで心が豊かになる人でした。
その人の口から、美里がいつも私のことを話してくれていたことを聞きました。
いつも、このできの悪い私のことを、そう誉めてくれていたそうです。
とよは、美里の通夜が終わってから、キム兄と二人で、1時間位美里の思い出話をしました。
いつまでも、話がつきませんでした。
でも、その話は、亡くなった人を悼むというのではなく、楽しかった3人の思い出を語るという感じでした。
キム兄も、美里の死を、受け入れることができないでいました。
そして、別れ際・・・・
キム兄はとよにそう言いました。
とよも、
と返事をしました。
・・・・でも、そう約束したキム兄も・・、その年の秋に急死してしまうのです。
自分の周りで起こっている出会いと別れ・・・
動き出した運命の歯車・・・
次に何が起こるのか予想もつかない・・・
そんな人生の転機が、間違いなくとよに訪れていました・・。
虹の橋を渡れない美里
翌日、とよは美里のお葬式に参列しておりました。
やはり、お葬式も参列者がとても少ない状態でした。
美里からの遺言で、家族と仲の良かった友人達にだけ見送られたいと言ったそうで、家族は、美里から連絡してくれと頼まれた人にしか連絡しなかったそうです。
参列者が少なかったせいなのか、初めて見る天理教式のお葬式だったからなのか、とよは、なぜかとてもこのお葬式に違和感を感じてしまったのです。
なぜか、美里を見送ったという気持ちになれないまま、式場を後にしました。
そして・・・仏教でいうところの49日の法要に当たる、50日祭というのが執り行われることになりました。
とよは、法要に参加する予定でしたが仕事の関係で間に合わず、その後、親族を囲んでのお食事会にだけ参加させていただきました。
そこで、同席した美里の高校の同級生であり、とよと同じく警察官をしているHくんから
とこは神道やねんけど、こういう法要には長い祝詞をあげるねんけど・・・
今日の祝詞はあっという間に終わってしまってん。時間にして5分もなかったと思う。
なんか、わからんねんけど俺、今、美里が成仏できないような不安な気分になってるねん。
と言ったのです。
とよは、あっと思いました。
そうなのです、お葬式の時に感じた違和感・・というのは、祝詞の短さだったのです。
お葬式のときも、なぜかとても祝詞をあげる時間が短くて、参列者が少ないこともありあっという間に式は終わってしまったのです。
それでとよはすぐに、知り合いで天理教の幹部をされている 井上さん という方に連絡を取り、天理教の祝詞のことを聞いたのです。
井上さんは、
お葬式とか法要とかでは、だいたい1時間位祝詞を上げるますよ。
5分なんて考えられないですよ
と言われました。
なぜ?そんなに短かったのかについては、
ということでした。
これを聞いて、とよもだんだんと不安になってきました。
それで急ぎ、例の霊能力のあり、神道にも非常に詳しいかよちゃんと、元巫女さんで神官一族で霊能者のかずちゃんに連絡を取り状況を話ました。
かよちゃんは、
死者は音に導かれて道を間違わずにあの世に行けるんだよ。
今美里さんは自分が死んだことはよくわかっていて、あの世に行かないといけないこともちゃんとわかっていて、必死で道を探して歩き続けているけれど、祝詞が短すぎたため、道しるべがなくて道に迷っているね。
なんとかしてあげないと、この世にとどまったままになってしまう。
もう、あまり時間がない気がする。
と言いました。
あの世への引導を渡すのは、やはりお坊さんの仕事やから、
知り合いのお坊さんにお願いしてみるわ。
そう言ってくれました。
さらに
と言われたため、とよはその足で源九郎稲荷神社に飛んでいき、源九郎大神様に必死でお願いをしました。
そしてかよちゃんは、早速、知り合いのお坊さんにお願いしに行ってくれたのです。
翌日にかよちゃんから連絡がありました。
私夢を見たんでけど、空に満点の星が出ていたよ。
変な夢だったんだけど、その夢で見た夜空は、美里さんがあの世から見ている夜空だったと思うんだ。
だって、北斗七星やその他の星座がすべて位置(形)が逆になっていたんだ。
ということでした。
そして、その言葉を聞いた途端、それまで抱えていた私の不安な気持ちが一気に楽になるのを感じました。
後に、かよちゃんがお願いしてくれたというお坊さんは、現在、源九郎稲荷神社でお火焚祭を執り行ってくださっている岩岸住職だとわかりました。
かよちゃんがお願いした時、岩岸住職さんは
すぐに引導を授けるわ。
と言ってくださり、会ったことも、顔も知らない、美里のために長い長い法要を行ってくださったそうです。
かよちゃんは、
昔は神官さんも、お葬式はお坊様にしてもらっていたからね。
死後の世界に旅発つということは大変なことで、昨日、今日、神官さんになったような人が死者に対して儀式を行うなんてありえないことなんよ。
と言っておりました。
かよちゃんやかずちゃんの話では、死んだ人は耳はとても良く聞こえるらしいのですが、死んだ直後はしばらく目が見えなそうです。
なので、お経の音を頼りに三途の川までたどり着くのですが、お経や祝詞の音が短いと、三途の川を探せないまま迷ってしまう場合があるそうです。
なので、49日や50日法要といった、数日間、長い時間かけてお経や祝詞を毎日唱えるというのは、死者を三途の川まで導くためにとても大切なことなんだそうです。
美里の50日祭の法要を行われた神主さんが、どういう方だったのかはわかりませんが、美里にとってはとても不運でした。
50日間、毎日祝詞を上げてもらい、美里は三途の川まであと少しというところまで辿りついていたのに、
最後の一番大切な法要の時に祝詞が短すぎて急に音が聞こえなくなり、その先どう進めば良いのかわからず、その場で立ち止まっていたのだそうです。
もし、あのまま行き先がわからないままだったら、美里は浄土へは旅立てず、この世でさまよってしまう結果になっていたのかもしれないのです。
なので、この状態をいち早く「おかしい」と気づいてくれたH君により、美里は無事に浄土へと旅立つことができました。
そして、とよはこの話を聞いたとき、美里が源九郎大神さんに手を取られて満点の星空を見上げながら歩いている姿が瞼に浮かびました。
美里が闘う姿を、とよといっしょにずっと見守ってくださったのは、源九郎稲荷神社の神様でした。
きっと最後も、美里のために力を貸してくださったのだと思います。
この美里の死をきっかけに、この後、とよは神社の復興のために欠かせない人達と次々に出会うことになります。
そして・・・美里が亡くなった翌年の夏から、本格的に神社の復興活動が開始されることとなるのです。
ただ・・
とよは、美里を亡くした悲しみから、しばらく立ち直ることができず、源九郎稲荷神社に向かい合うには少し時間がかかりました。
そんなとよに、次に待ってたのは・・・
すばらしい出会いであり、さらに大切な人達との別れでもありました・・・・
ここから先が、源九郎稲荷神社第1章の後段へと入って行きます。
源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクスパ経営奮闘記」
それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。
なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。
でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。
元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語