源九郎とよが源九郎稲荷神社のお掃除を始めるきっけとなった親友美里の長い闘病生活でしたが・・・・
その美里もとうとう神様の元へと旅立ってしまいました。
亡くなった親友美里が病気祈願をした籠神社を訪ねて・・
源九郎とよは、美里の闘病中、源九郎稲荷神社に毎日通ってお参りしておりましたが、美里を亡くしてからはしばらく糸が切れたようになってしまい、なかなか源九郎稲荷神社へと足が向きませんでした。
そんな時、美里のお母さんから、
という話を聞かされました。
その話を聞いたとよは、すごく籠神社が気になりだしました。
そのことがとても気になったのです。
そんなことから、とよは数日後、妹を誘って籠神社に行くことにしました。
籠神社は京都の丹後地方にありました。
丹後地方に近づくに連れて、その美しい景色にうっとりしました。
日本海が見えたときには、とてもうれしかったです。
この籠神社が、日本三景の天橋立が参道であったという話を聞いたので、神社の対岸から天橋立を歩いて籠神社に行くことにしました。
とよは、歩くことが大好きです。
趣味も登山で、かなりの健脚であるため、基本的に歩くという方法を選んでしまい、妹からは
と文句を言われます。
でも、そんな文句は、いつも無視!!
この日も、有無を言わさずスタスタと歩き出したのですが、今回はとよの方が悲鳴を上げました。
歩き出した途端、お腹にするどい差込が・・・・・
どんどん、どんどん痛みが増してくるのです。
真っ青な顔のとよを見て、妹もかなり心配して、引き返そうかと言ってくれましたが、そこは最後まで行かないと納得できないとよの頑固な性格が許しません。
お腹を押さえながら、前長3.6キロメートルの松並木を完歩しました。
でも、その時には、お腹の痛みはピークでした。
と聞いてくれましたが、とよは、
と言い、松並木の終点に位置する籠神社まで、役15分ほどの道のりを腹痛と闘いながら歩きました。
そしてやっと、籠神社へ到着しました。
(写真は籠神社のホームページからお借りしました)
とても、綺麗な神社でした。
そして立派でした。
さすが一宮と思わせる威厳と風格がありました。
とよは、神社の中で休憩するつもりでいたのですが、鳥居を潜ったあたりで、急にお腹の痛みが和らいできたのです。
という気がしました。
そして、自分で暗示をかけたからかもしれませんが、神殿の前でお参りしているうちに、本当に痛みがすっかり治ってしまったのです。
それには妹もびっくりするというより、あきれていました。
聖なる天橋立の北方に鎮座する元伊勢の籠神社
腹痛が治ったとよは、いつものとおり軽い足取りになり、清々しい気持ちでお参りができました。
籠神社のご由緒を読んでいると、天橋立はやはりもともと籠神社の参道として発祥したもので、古来より天と地、そして神と人とを結ぶ架け橋と信じられていたそうです。
お腹が痛くなったのは、とよとここの神様の縁を結んでいただくための禊だったのでしょうか?
さて、その聖なる天橋立の北方に鎮座するのが元伊勢籠神社です。
元伊勢とは、
天照大神が倭(やまと)の国、笠縫邑(かさぬいのむら)を出られて、伊勢神宮にお鎮まりになられるまで巡幸された20数ヶ所の地
を指します。
籠神社は、天照大神さんが最初に巡幸された神社であり、第十代崇神天皇の御代にお遷りになったそうです。
もともと、丹後国の総氏神である籠神社のご祭神豊受大神と共に四年間祀られたらしく、この四年間一緒にお過ごしになられた天照さんと豊受けさんの絆はとても深かったのだろうと思います。
というのは、その後、
天照さんは、第十一代垂仁天皇の御代に、
豊受大神は、第二十一代雄略天皇の御代に
それぞれ伊勢神宮に遷られているのですが、天照さんが、一人でお食事をするのは寂しいからと言って、豊受さんを丹後からお呼びしたそうです。
そうです。
あの伊勢神宮の外宮に祀られているのが豊受さんで、内宮が天照さんなのです。
そんなことから、この二柱の神様が元々いらしたこの籠神社は、内宮外宮唯一の元伊勢(伊勢根本の社)として全国より崇敬を集めています。
二十数社ある元伊勢の中でも随一の社格と由緒を持つ所以がここにあるそうです。
その証として伊勢神宮と籠神社にしか許されない五色の座玉(ごしきのすえたま)が高欄に据えられ、厳かな神秘の光を放っていました。
この日も観光バスがたくさん来て、多くの参拝者で賑わっていた籠神社ですが・・。
お腹痛が治ったとよは、すっかり気分もよくなり、くまなく神社を巡っていました。
素敵な宮司さんに声を掛けていただきびっくり!!
とよがルンルンで境内を参拝している時、遠くからとよの方をジッーと見ている男の人がおりました。
そして、その方は、多くの参拝者がいるのに、まっすぐにとよの方へと近づいてきたのです。
そしてその方は、
と、とよに話しかけてきたのです。
その方は、
丹波国造八十二代(當主)
でした。
この籠神社は天照豊受両大神がご遷座の後は、天孫彦火明命(てんそんひこほあかりのみこと)を主祭神としているのですが・・・
その系譜に連なる宮司家海部(あまべ)氏が古代より籠神社に奉仕し、この海部光彦宮司さんでで八十二代を算え、その家系図は国宝に指定されているのです。
とよは、声を掛けていただいた宮司のお顔を見てびっくりしました。
亡くなった私の祖父にそっくりだったからです。
とよの父方の祖父は兵庫県灘の酒樽造り問屋のおぼっちゃんで、とても上品でもの静かな人でした。
俳人であり、とても信仰心の厚い方で、特に聖徳太子さんを信仰していて、毎日四天王寺にお参りを欠かさない人でした。
海部宮司さんは、その祖父に生き写しでした。
そう聞いたとよに、宮司さんは丁寧に道順を教えてくださいました。
そして、
と聞いてくださったので、奈良県大和郡山市からであることを伝えると、
大和はうちの神社にとても縁のあるところです。
と言って微笑まれました。
そして・・
宮司さんに教えていただいたとおり、眞井神社へと向かいました。
おそらく、宮司さんにお会いしなかったら、奥宮の真名井神社のことは知らないままで、訪れることはなかったと思います。
真名井神社への道すがら、蝶が乱舞していました。
とても幻想的な風景でした。
そして・・・・
真名井神社へ足を踏み入れたとよは、タイムスリップしたような不思議な感覚を覚えました。
今まで訪れたどの神社とも、全く違う・・・。
真名井神社には、不思議な空気が流れていました。
そこだけが異空間のように思えました。
境内の真ん中にポツンと建っている社殿も、とても神秘でした。
社殿の裏の石碑には
豊受大神の亦の名(またの名)が、
天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
国常立尊(くにとこたちのみこと)
とされていました。
そして・・・・。
「その御顕現の神を倉稲魂命(稲荷大神)と申す」
とされていたことです。
つまり、私達の前に豊受さんが現れるときの姿は、稲荷の神様の姿をしているということです。
そして、天御中主神という神様は、宇宙根源の神、すなわち宇宙そのものとされています。
「古事記」では、一番最初に出現した独神とされていますが、「日本書紀」には、国常立神が一番最初に現れた神として描かれています。
そして、本地垂迹説により、
仏教では、「妙見菩薩」
陰陽道では、「鎮宅霊符神」
とされているのです。
また、豊受さんは、
「五穀農耕の祖神であり、開運厄除、衣食住守護、諸業繁栄を司どられ、水の徳顕著で生命を守られる。」
神様だそうです。
そして、この本殿の背後に、磐座があります。
豊受さんの磐座、天照さんと、イザナギ、イザナミのご夫婦の磐座でした。
ここで1つ不思議体験がありました。
この磐座が誰の磐座なのか表示した石標が磐座の横に立っているのですが、それを数枚写真撮影しました。
とよは、このとき綺麗に写っているのをカメラのデータ画像モニターで確認した後、自宅に帰ってからパソコンに取り入れました。
その時には、ちやんとパソコン内に取り入れることができていたはずなのですが・・・
ところが・・・。
数日後に、それらの写真を知人に見せようしたところ、パソコンに取り入れたはずの磐座の写真が数枚消えてなくなっているのです。何も写っていなくてバスマークだけが入っているのです。
他の写真はすべてちゃんと残っているに・・・
カメラにはまだデータを残していたので、すぐにカメラを確認しました。
すると、やはりその部分の写真だけが真っ暗で、消えてしまっていたのです。
背筋がぞーっとしました。
後に、宮司さんに聞いた話では、
あの磐座に関しては、
写真を撮ると不思議なものが写っていたり、
カメラがつぶれてしまったり
と、不思議な現象がいろいろと起こっているそうです。
そんなわけで、その写真をお見せすることはできないのですが、
その石標の裏側に、とても謎めいたことが書かれていました。
刻まれていた言葉を正式に覚えていないのでここでは書きませんが、気になる方は一度行かれて確かめてください。
そして・・・もう一つ真名井神社では、2回目に訪れた時に不思議な物を見つけました。
ちょうど磐座の下に、きらりと光るものを見つけたのです。
それは、とても綺麗な珠でした。
涙の雫のような形をしています。
そして・・・珠には穴などはいっさい空いていなかったので、装飾として使われていたものではなさそうです。
この珠を宮司さんのところに持っていき、見せたところ
珠とは深い縁がある神社なので、何か意味があるのかもしれません。 あなたが見つけたのですから、どうぞお持ち帰りください。
と言っていただき、いただくことになりました。
いつまでも眺めていたい、とても美しい珠です。
海部宮司さんからのプレゼント
話を元に戻します。
とよと妹の二人が、真名井神社から籠神社へ戻って来ると、海部宮司さんがとよ達の姿を見つけて、駆け寄ってきてくれました。
と言ってくださりました。
そして、
今年の葵祭りのときに、非常に不思議なことが起こりました。 お祭りが始まった途端、太陽に日輪がかかったのです。 そして、その日輪の中に龍が飛び込んでいくのを見ました。 多くの方がそれを見たのです。 そして、たまたま、それを撮影していた方がおられて、その写真をいただきましたが、それをあなたにプレゼントします。
とおっしゃられて、社務所の中に入っていかれました。
そして、しばらくして社務所から出てこられた宮司さんいいただいたのが、この写真です。
葵祭りは2500年も伝わる最古の祭りだそうですが、確かに、この日輪の中にひとつ丸い点が写っています。
なぜ宮司さんがとよにこの写真をくださったのか、その理由はわかりません。
でも、とよが亡くなった祖父に生き写しの宮司さんのことを、懐かしく思うのと同じように、宮司さんもとよのことをどこかで気にかけてくださったからだと思うのです。
ここにもまた、不思議な縁が存在しているのかもしれません。
宮司さんとは、その後も3回ほどお会いしていますが、お会いするごとに懐かしさが増します。
テレビなどにもよく出演されていて、とても有名な宮司さんなのに、とても気さくで優しい方です。
宮司さんはおっしゃっていました。
その言葉には、とても重みがありました。
源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクスパ経営奮闘記」
それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。
とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。
なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。
でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。
元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語