源九郎とよと、語り部の中川さんご夫婦との3人で始めた神社のお掃除は、なんとか大晦日までに70パーセントが終了し、あの荒廃していた神社とは思えないくらい綺麗になりました。
まだまだ、課題はたくさん残されておりましたが、大晦日には前宮司さんの時には距離を置いていた洞泉寺町のみなさんが足を運んでくださり、賑やかな年越しをすることができました。
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インターネットで見つけた素敵な歴史ブロガーさん
そして、お正月も無事に迎えることができ、源九郎稲荷神社は鎮守としての活力を取り戻して来たように感じました。
そんな中、源九郎とよは、お世話になっている知足山玄明院岩岸住職から
という話を聞いていたので、なんとか一般の人にも神社に足を運んでもらいたいと考えました。
そこで、思いついたのが
ということでした。
すごく他力本願なのですが、きっと協力してくれるブロガーさんはいるはずだと思い、インターネットで探しました。
そこで見つけたのが鈴木さんのブログでした。鈴木さんのブログは
当時は、
奈良歴史ミステリーハンター
というサイト名でしたが、実は、鈴木さんはとよと出会ってから2年後にご病気で急死されたため、小学生の娘さんが跡を引き継ぎ、そのためブログ名も現在は
奈良ふしぎ歴史攻略 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ
に変更になっております。
鈴木さんが書く文章は、とても温かみがあり、人柄が文章に出ているような気がしました。
ふとそう思いました。
それで、私は勇気をふりしぼり鈴木さんのブログにメッセージを送りました。
是非とも源九郎稲荷神社の復興にお力をお貸しいただきたくてメールさせていただきました。
私は、現在源九郎稲荷神社を管理している者です。
この神社は、昨年夏に宮司が急死してから、宮司なしの神社で今に至っています。
宮司が亡くなってから、神社は荒れ放題になっていたのですが、この神社の管理責任者である御夫婦と私との3人で、神社の復興にかかったのが昨年の秋のことでした。
それから、不思議なことに、いろんなことが始まりました。・・・
このころのおじちゃんもおばちゃんも、ブログというのがどういうものなのかわからなかったので、あまりピンと来ておらず
と言いながらも、とよが騒ぎ立てているのを不思議そうに見ていました。
熊のプーさんのような温かい鈴木さんとの出会い
体の大きなクマのプーさんみたいな人が鳥居をくぐって源九郎稲荷神社の境内に入ってきました。
と思いながら、とよは社務所の中から様子を伺っていました。
そのくまさんは、一目散に手水舎に行き、そして社殿にお参りを始めました。
と思っていると、そのくまさんは、丁寧にお参りを済まされると、社務所の方に歩いてこられました。
この時、
恵比須さんの絵のTシャツ
を来ておられたことを、今でも鮮明に覚えています。
とよは、鈴木さんに間違いないと確信し、声をかけました。
とても、さわやかで優しい笑顔が返ってきました。
鈴木さんを、中川のおじちゃんとおばちゃんに紹介すると、語り部でもある中川のおじちゃんが、とてもわかりやすく神社の由来や、宮司さんが亡くなってから今に至るまでの話を鈴木さんに説明しました。
鈴木さんは静かに、とても熱心に聞いてくださり、時々メモを取りながら
私で力になれるのであれば協力させてください。
と言ってくださったのです。
あなたのお店は、私が住んでいるところからは遠い。また、遠くても行ってみたいと思うほど、あなたのお店には魅力がないです」
遂に完成した源九郎稲荷神社のホームページ
「1.はじまりは、とよさんでした。」
「2.大和郡山の町中に響く法螺貝の声」
「3.闇の中からいずるものたち」
「4.ひろがるキセキ。 還るべきところ」
「5.源九郎さんのヒミツ」
売上金が神社の寄付になる電子書籍を作成してくださいました
復興活動物語の目次はこちら
源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクスパ経営奮闘記」
それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。
とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。
なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。
でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。
元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語