余裕の子狐ちゃん達 & 緊張気味のスタッフ
源九郎稲荷神社での参拝を終えられた中村勘九郎さんは、その後すぐに大和郡山市城ホールへと移動されました。
13;00から、「地域でのおもてなし」イベントを見ていただくためです。
このおもてなしイベントでは
源九郎稲荷神社に伝わる「白狐踊り」
を披露します。
白狐踊りは、中川のおじちゃんが会長となっている
白狐踊り保存会
が、ずっと大切に伝えてきた狐の踊りです。
今回は、白い子ぎつねに扮した
大和郡山南小学校3年生の子供たち96人
が、保存会のお囃子にのって踊りを披露することになりました。
そのため、一か月前から小学校の子供たちは、中川のおじちゃんの指導のもと、白狐踊りと歌の猛特訓をしました。
学校の先生方も限られた時間の中で、一生懸命、踊りを指導してくださったそうです。
本当にありがとうございます。
そんな中、神社には、小学3年生の児童達が何名か訪れ、神社の拝殿の前で踊りを練習するという風景も見られました。
いよいよ本番の日を迎え・・・・
子供たちの様子を見に楽屋裏を訪れてみますと・・・
子供って、緊張しないのですかね~
この余裕の表情を見てやってください!!
大はしゃぎです!!
でも、中には直前に狐のお面がとれて泣きそうになっていた子もいました。
中川のおばちゃんが直してあげていました。
中川のおばちゃんは、保存会のお囃子メンバーの一人です。
今回は三味線ではなく、太鼓を叩きます。
おじちゃんは少し緊張気味のようです。
いつもより笑顔がこわばっています(-^□^-)
この間、舞台横で中村勘九郎さんが立ったままで待機されていたのですが・・・・・
気ぜわしく横を通り過ぎるスタッフに対して、通り過ぎるたびに頭を下げてくださるのにはびっくりしました。
源九郎トヨは、この時中村勘九郎さん付で、ずっと勘九郎さんの傍におりましたが、何を話せばよいのか分からず、ただただ緊張しておりましたが、勘九郎さんは、トヨにもずっと笑顔を向けてくださっていまいした。
本当に人柄のよい方です。
いよいよふれあいイベントが始まりました
そして、いよいよイベントの始まりです!!
先ずは、中川のおじちゃんによる、源九郎稲荷神社と歌舞伎三大演目「義経千本桜」のつながりについての説明があった後、
の東西声のもと、序開きです!!
勘九郎さんの入場となりました!
そして続いて、上田大和郡山市長の挨拶が始まりました。
今回、中村勘九郎さんを源九郎稲荷神社にお呼びすることができたのは、市長さんのおかげです。
1年前、源九郎稲荷神社の復興チーム等で開催した「夕涼み会 in 洞泉寺」という夏祭りに、市長さんが来てくださり、「住民レベルでこんなお祭りを開催するとはすごいことです」と言って、私たちの活動に感銘を受けてくださいました。
そして、
と言ってくださいました。
そのお言葉を・・・まさかこんなすごい形で実現してくださるとは、本当にすごい市長さんだと思います。
今から約850年前に、初代大和郡山城主である豊臣秀長さんが、吉野の地から源九郎さんを大和郡山の地に呼び寄せ、鎮守としてお祀りしました。
源九郎さんの神通力のおかげで、幾度もの戦火を逃れ、大和郡山は100万石の城下町として栄えました。
しかし、昭和になり遊郭が廃止されると同時に、遊郭街の中にあった源九郎稲荷神社はすたれてゆき、いつしか「源九郎狐」の名前も、人々から忘れ去られるようになりました。
それが、現在の大和郡山のお殿様である大和郡山市長の手によって、今再び蘇ったのです。
この後、源九郎の子狐たちが素晴らし歌と踊りを繰り広げてくれました!!
幕が上がると、子ぎつね達の登場です!!
この狐さん達は、「やまとのやまとの源九郎さん、遊びましょ!!」で有名な
「やまとの源九郎さん」
という童謡を歌ってくれるチームです。
7番まである難し歌詞を全部覚えてくれました。
そして、ホールの四方から白狐踊りを踊りながら、子ぎつね達が登場しました!!
遠くから撮影していたので写真がピンボケですみません。
子ぎつねたちは、勘九郎さんの席の前に並ぶと・・・・
「勘九郎さん、勘九郎さん、遊びましょ!!」
と言って、勘九郎さんを舞台に誘います。
子供達に手を取られ、舞台に上がった勘九郎さんですが、さすが歌舞伎役者です。
すぐに白狐踊りを覚えてしまい、舞台到着時には子供達と一緒に踊ってくれておりました。
とてもとても心温まる場面でした。
その後、子供たちのインタビューを受けてくださることになったのですが、MCが
「みんなその場に座ってください」
と言うと、なんと勘九郎さんも、その場に体育座りをしてくださいました。
そして、子供たちからの
等の質問に、子供たちの方を向いて、ひとつひとつ丁寧に答えてくださいました。
子供たちとの記念撮影では、子供たちが勘九郎さんの周りを取り囲み、大はしゃぎです!!
子ぎつねたちは、お別れのときも、勘九郎さんの周りを取り囲んで離れなくて、スタッフの方々が引き離すのに大変でした。
一瞬にして子供たちの心を掴んだ勘九郎さん、さすがすごい役者さんです。
この後、楽屋に戻ってきた子供達が、
等と、私の体に飛びついて報告してくれました。
余程、うれしかったのだと思います。
最後は白狐踊り保存会メンバーと記念撮影
そして、帰り際・・・
勘九郎さんと一度も記念撮影をしていないお囃子のメンバー達が、がっくりとしていたところ、楽屋裏で一緒に記念撮影をしてくださることになりました。
保存会の方々は、ずっと源九郎稲荷神社のために、白狐踊りと童謡を守り伝えてこられた方々であり、源九郎さんを支えてきてくださいました。
それだけに、今回、勘九郎さんと触れ合う場面がないことに、みんなとても落ち込んでいたのです・・・・
源九郎トヨは、これではいけないと思い、地域振興課の方に
みなさん、今日のために、楽しみに頑張ってこられたので、なんとか数分でいいので、勘九郎さんと保存会の人が一緒に写真でも撮れる時間を作ってもらえませんか?
とお願いに行きました。
すると、スタッフの人は、
勘九郎さんはまだ楽屋におられるので、すぐにお願いしてきます
と言って、楽屋に走ってくれました。
そして数分後には、中村勘九郎さんが、楽屋裏で待機していた保存会のみなさんのところに来てくださいました。
最後の最後に勘九郎さんが時間を割いてくださり、一変してみんな大はしゃぎでした。
そして、勘九郎さんからは、
「すばらし演奏をありがとうございました」
とねぎらいの言葉までいただき、もうみんな勘九郎さんにメロメロでした。
中川のおばちゃんは、
と言って、勘九郎さんに握手をしてもらって、キヤーキャー飛び跳ねて、本当に幸せそうでした。
お囃子メンバーで勘九郎さをお見送りした後、源九郎とよは玄関ホールで待ってくれていた玄明院の岩岸住職や母のところに戻りました。
そして、歌舞伎大、大、大好きな岩岸住職さんの奥様に
って伝えたところ、なんと奥様は突然玄関ホールから出て、前の道に向かって駆け出しました。
それにつられて、私も駆け出したところ、丁度、私たちの目の前を勘九郎さんを乗せた車が通ったのです。
二人して、手を振ったところ、なんと・・・・
車の窓を開けて、勘九郎さんが顔を出し手を振って頭を下げてくださったので!!
大黒行者さんの奥様は大興奮でした
本当に、最後の最後まで、温かみのある気遣いに感動しました!!
その後、10月の名古屋での舞台に、源九郎稲荷神社一行として、数名で駆けつけました。
すばらしい源九郎狐を見せていただくことができました。
本当に、勘九郎さんありがとうございました。
そして、こんなすばらしい機会を設けてくださった大和郡山市長さんと、大和郡山市役所地域振興課の皆様に心から感謝します。
また、白狐保存会の皆様、お琴とお茶を披露してくださった皆様、薬園八幡宮の宮司さん、大和郡山南小学校の先生と生徒さん方、
おそうじを手伝ってくださった洞泉寺町の皆様、当日裏方で雑用をしてくださった神社のスタッフの方々・・・・
いろんな方の力が合わさって、大成功をおさめることができました。
本当にありがとうございました。
余談ですが、勘九郎さんは「やまとこおりま」という響きは、とても色気があるとおっしゃられました。
「呼んでくださるなら、大和郡山城ホールで歌舞伎をしたい」
とも言ってくださいました。
本当に、そんなことが実現できる日が来たら・・・すばらしいことだなと思いました。
まだ、それはかなっておりませんが、いつか、歌舞伎役者の誰かが、大和郡山城ホールで源九郎狐を演じてくださることを心待ちにしております。
源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクス経営奮闘記」
それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。
なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。
でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。
元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語