珠も磨かないと光らない・・・
6代目中村勘九郎丈が襲名参拝として源九郎稲荷神社に参拝くださいましたが、この企画を進めるにあたって・・・
裏方で支えてくださった人の力の偉大さに改めて気づかされました。
源九郎稲荷神社は、この時からほんの2年前までは人の参拝もなく荒廃し、さびれたところになっていました。
源九郎とよが行った掃除をきっかけに、その後は中川のおじちゃんおばちゃんのご夫婦が、語り部兼管理人として神社復興活動の中心人物となり大活躍され、されに地域の方々のご協力をもって、今ではたくさんの方が日本全国からお詣りに来て下さる神社になりました。
そんな中、当時は神社の宮司さんが不在であったことから、知足山玄明院の岩岸住職が、源九郎さんの拝み役としてひたすら神の威光倍増を祈ってくださいました。
コアな信者さんたちは、山伏である修験僧は、神様も拝めることができると知られていますが、
「なんで神社なのにお坊さんが拝みに来ているんだ」
と陰口をたたく人もいました。
岩岸住職は山伏僧ではあるが神主ではないので、全くの影の存在として宮司さんが不在の間、ずっとお布施も取らずに源九郎稲荷大神様に祝詞を上げ続けてくださいました。
そんなことから、中村勘九郎丈参拝の際も、歌舞伎好きのご住職をご招待することとなったのですが、この時にご住職がつぶやかれた言葉に色々と考えさせられました。
私は、ただ威光倍増を願う行者と言うだけで、表立ってでは無く陰の存在・・・・
少し寂しく思うこともあったが、今回の中村勘九郎さんの参拝でそんな気持ちも吹っ飛んだよ。
拝むといえば何か心願成就や事業繁栄などの願いばかりを祈念すると思いがちであるが、私はただただ神の威光倍増だけを願っていた。その結果は今回の中村勘九郎丈の襲名参拝のように間違いなく現れている。
珠も磨かないと光らない。
神仏もしっかりと拝む人間が居ないとその威光を失うんだよね。
ここを拝めるのは自分だけであるという自負の下、私は引き続き威光倍増を願う存在でいようと思う。
この言葉を聞いて、源九郎とよは、復興活動に携わってきた者たちが、それぞれの役割をコツコツとこなした結果、中村勘九郎丈に参拝いただくまでの神社になったことを、改め実感しました。
2010年・・・
源九郎とよ、中川ご夫妻の3人は、廃墟同然となった源九郎稲荷神社の姿に啞然とし、少しでも神社を綺麗にしたいという思いで境内や社務所の掃除を始めました。
この時、前宮司さんが半年ほど前にお亡くなりになられたばかりであり、すぐに宮司さんに来ていただける状況でもなかったことから、源九郎稲荷大神様は数か月の間、まったく拝まれていない状態でした。
源九郎とよ達は、神社のお掃除はできても、神様を拝むことはできません。
そこで、源九郎とよは、友人である修験僧の岩岸住職に源九郎稲荷神社の現状を相談しました。
岩岸住職は、源九郎とよの話を聞いてすぐに神社にすっ飛んできてくださり祈祷をしてくださいました。
もちろん、岩岸住職は見返りを求めない方なので、お布施を渡せる状態でないことも百も承知でありながら、その後も足しげく神社に通っては祈祷をしてくださいました。
それどころか「神社に役立ててください」と、いつも玉串料を納めてくださっていました。
岩岸住職は、世界遺産である吉野金峯山寺の阿闍梨さんであり、あだ名が「拝み屋」と言われるくらい神仏を拝むのが大好きなお坊さんとして知られており、彼の唱える念仏や祝詞は、心から神仏を大切にしていることが伝わってくる味わいの深い特別なものでした。
岩岸住職が唱える念仏や祝詞の力はすごく、その後源九郎稲荷大明神様は、どんどん威光を取り戻され、神社の復興活動に力を貸してくださる人が一人増え、二人増え・・と、少しずつですが復興活動の輪が広がっていきました。
そして、それから3年を経たこの時、なんと歌舞伎界のスーパースターである中村勘九郎丈に参拝していただけるまで神社は復興したのです。
まさしく、珠は磨かなければ光らず、反対に磨けば光ることを源九郎とよ達は目のあたりにしたのです。
表の存在と陰の存在がいてより光り輝ける
岩岸住職は、住職自らがつぶやかれたように「陰の存在」に徹して、神社を支えて来てくださいました。
源九郎稲荷神社には、他にもたくさんの陰の存在の方々がいます。
洞泉寺町の住民の方々、ボランティアスタッフの方々、大和郡山市役所の方々、観光ボランティアガイドの方々等・・・
その方達のおかげで、源九郎稲荷神社は、その威光を広く日本中に広めることができるようになりました。
源九郎とよは、当時警察官をしていた関係から、ほとんど表には立たないで陰の存在として活動していました。
そのため、一切本名を名乗らず、神社でボランティア活動をする時は「源九郎とよ」という通称名で通していました。
当時、源九郎とよは、警察の仕事がない休日や非番日には、ほとんど神社に行って掃除をしていました。
その頃、自分の立ち位置にすごく悩んだ時期がありました。
神社に来られる参拝者に対しては、もっぱら中川のおじちゃんが、語り部として神社の由緒などを説明してくださっていました。
源九郎とよは、荒れ放題の境内の掃除担当であり、ジャージ姿でひたすら境内の掃除や植木の剪定などをしていました。
この時、神社に出入りしている業者の方などから「あんたは良く見かけるけど誰ですか?この神社で何をしてる人ですか?」といった質問を受けることが度々ありました。
この質問が、源九郎とよにはとても苦手な質問でした。
源九郎とよは、中川さんご夫婦のように神社の管理人でもなく、また神社がある洞泉寺町の住民でもありません。
さらに、警察官であることを伏せていたので、どう返答すれば良いのか戸惑うことが多かったのです。
そんなふうに、返答に困っている源九郎とよの姿を見て、中川のおじちゃんが、これも返答に詰まりながら
と前置きして、源九郎とよが神社に関わるようになった経緯を簡潔に説明してくださるのですが、その経緯がうまく伝わらなくて、
「なんや中川さんの娘さんかと思ったら、お掃除のおばちゃんなんか?」
と言われることが多かったのです。
源九郎とよにとっては、単純に神社を掃除しているのではなく、
と言う思いがありました。
おじちゃんが説明する前段の
という部分を、ちゃんと聞いてくれる人があまりいないことがとても残念でした。
そのため掃除のおばちゃんだと聞いた人は、その後の源九郎とよへの対応が2つに分かれました。
単純に神社の掃除スタッフだと思っている人は、源九郎とよが掃除をする姿を見ても挨拶すらしてくれませんでした。
反対に、ちゃんとおじちゃんの説明を聞いてくださった方は、「ご苦労様」とか「偉いですね~」といつも声をかけてくださいました。
この差は、結構大きくて、その人の人なりがとても良く見えました。
挨拶をしない人はたいてい、その後に源九郎とよの職業が警察官だと知った途端に、急にペコペコしてきたり、反対に警察嫌いとうことで嫌味を言ってきたりしました。
あまりにも態度を変える人は
と呆れるばかりでした。
源九郎とよも、源九郎稲荷神社では、岩岸住職と同じく陰の存在です。
陰の存在があってこそ、表で輝ける人がいます。
表で輝ける人がいるからこそ、陰で支えることの喜びがあります。
源九郎稲荷神社の復興活動をしていると、
と感じることが多くありました。
それぞれが、誰に指示されるでもなく、自分の得意なことで復興活動のための役割を果たしています。
そして、みんなの力が合わさって、中村勘九郎丈に参拝していたけるまでに復興を遂げたのだと思います。
中村勘九郎さんの参拝は、彼の人柄の良さもあり、復興活動に携わった人みんなが、とてもハッピーな気分にさせていただきました。
と、自分で自分を褒めたい気分になりました。
そして・・・
この後さらに威光を増した源九郎稲荷大神様は、今では源九郎狐を演じさせると右に出る者がいないと言われる、四代目市川猿之助丈まで神社へ呼び寄せることになるのです!!
物語の続き第93話はこちら
源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクス経営奮闘記」
それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。
なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。
でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。
元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語