源九郎稲荷神社の由緒
名前の由来
源九郎稲荷神社の社名は、源義経にまつわる伝説に由来します。
兄・源頼朝との戦いの折、義経は幾度となくこの稲荷の白狐に助けられたと伝えられており、その深い感謝の証として 「源九郎」 の名を白狐に贈った――
これが、現在の 源九郎稲荷神社 の名前の由来となっています。
この“源九郎狐”は、歌舞伎の名作 『義経千本桜 四ノ切(しのきり)』 においても主役として登場します。
多くの名優がこの狐を演じてきましたが、特に 澤瀉屋(おもだかや) が得意とする演目として知られ、
三代目・市川猿之助、四代目・市川猿之助 の演じる源九郎狐は、躍動感・表現力ともに高く評価され、歌舞伎界でも伝説的な存在となっています。
源義経の歴史と、歌舞伎の華やかな芸能文化、そして白狐の神秘が交差する――
これこそが、源九郎稲荷神社が多くの人々を惹きつけ続ける理由のひとつです。
神社の由緒
大和郡山城主となった 大納言・豊臣秀長 は、郡山の地を治めるうえで「自らと郡山藩を守護する神を迎えたい」と強く願っていました。
当初は、桜井の 談山神社 の神様を鎮守として城に招きましたが、どういうわけか相性が合わず、ついには神様が桜井の山へお戻りになってしまったと伝えられています。
■ 高徳の僧・宝譽上人との出会い
そんな折、秀長は 大和長安寺村に宝譽上人(ほうよしょうにん) という高い徳をもつ僧がいると聞きつけ、城へ招いて説法を聞きました。その教えに深く感銘を受けた秀長は、上人に帰依し、自身が探し求めている “守護神” の相談をします。
■ 夢枕に現れた「源九郎」を名乗る白髪の老人
相談を受けたその夜、宝譽上人の夢枕に白髪の老人が現れ、
「私は源九郎。
郡山の南に御堂を建て、茶枳尼天(だきにてん)を祀れば、あなたと郡山藩の守護神となろう。」
と告げたといいます。
上人はこのお告げを秀長に伝え、秀長は大いに喜び、すぐさま御堂を建立しました。(現在の 洞泉寺町 にあたります)
■ 洞泉寺の創建と源九郎茶枳尼天の安置
宝譽上人は、三河・挙母郡山霞渓山洞泉寺の寺号を移し、新たな御堂を 洞泉寺 としました。
さらに、自ら 源九郎茶枳尼天像 を彫り、境内の祠堂に安置して日夜勤行を続けたと伝えられています。
並行して郡山城内には 竜雲郭(りゅううんかく) が建てられ、享保4年(1719年)には 源九郎大明神 が厚く祀られました。
■ 現在地への遷座と社殿の完成
その後、御神体は現在地へ遷座し、大正14年(1925年) に現在の社殿が完成しました。
隣接する洞泉寺には、宝譽上人が刻んだと伝えられる源九郎茶枳尼天像 が今も安置されており、源九郎稲荷信仰の重要な歴史を静かに伝え続けています。





