源九郎稲荷神社の奮闘記は、この記事で88回目となります。
88という数字は、ある人のお誕生日の数字です。
その方は、今年の2月に亡くなられた
「奈良歴史ミステリーハンター」というブログを書いていらっしゃった 鈴木 尚さん です。
彼は8月8日生まれであり、わずか40歳でこの世を去りました。
奮闘記の88回目に、鈴木さんの偲ぶ会を開催したという記事を書くのは、とても不思議な気がします。
源九郎稲荷神社の復興は、鈴木さんの協力なしではありえませんでした。
インターネットで見つけた故鈴木さんの存在・・・
2011年5月・・・
中川さんご夫婦と私の3人で始めた復興活動は、知足山玄明院の岩岸住職さんや伊藤君を始めとする若いボランティアスタッフ、洞泉寺町の住民の皆様の協力を得て、少しづつ前に進んではおりましたが、源九郎とよは
神社に参拝者を集めないといけない。
どうやったら神社に来てもらえるようになるんだろう?
と思案していました。
そう考えた源九郎とよは、ホームページで源九郎稲荷神社のことを紹介するしかないと思いました。
それで、
と思いながらネットでホームページ作成会社等を検索していました。
同時に、源九郎稲荷神社のことが、いったいどれくらいネット上に掲載されているのかが気になり、源九郎稲荷神社で検索をかけてみました。
すると、数件の記事の中に、とても心を惹かれるブログがありました。
それが、奈良歴史ミステリーハンターでした。
源九郎とよが、出会った記事は
奈良のスーパーきつねさま。 大和の源九郎狐伝説 ~ 大和郡山 源九郎稲荷神社 (1)
という記事です。
彼が書く文章がとても暖かくて、またブログのプロフィールに載せられている鈴木さんの顔写真を拝見すると、熊のプーさんみたいでとても穏やかな顔をされていて
と源九郎とよは直感しました。
そして、数分後には、鈴木さんブログにメールを送っていました。
その内容は、
源九郎稲荷神社では宮司さんが亡くなり廃墟同然になっているのを、なんとか少しづつお掃除をしてきれいにしたこと。
とても由緒のある神社なのに、ほとんど参拝客がいないこと。
もっと、多くの方にこの神社のことを知ってもらい、お参りしてほしいこと。
その方法として、あなたのブログに神社のことを取り上げてほしい
等、かなりの長文を出会ったこともない方に、いきなり送りつけたのです。
けれど、鈴木さんからは、とても暖かい返事が返ってきました。
そして、
と言っていただいたのです。
源九郎とよは、その返事をいただくと、すぐさま神社に走って行き、中川のおじちゃんと、おばちゃんに興奮してそのことを話ました。
その頃、おじちゃんもおばちゃんも、ブログがどういうものなのか、あまりピンとこなかったので、
と言いながらも、私が騒ぎ立てているのを、不思議そうに見ていました。
故鈴木さんとの初めての出会い
2011年6月10日
鈴木さんが、神社に来てくださいました。
体の大きな熊さんみたいな人が鳥居を潜って神社に入ってきました。
鈴木さんかな?
と思いながら、私は社務所の中から様子をうかがっていると、その男性は、一目散に手水舎に行き、そして社殿にお参りを始めました。
と思っていると、その方は、丁寧にお参りを済まされると、社務所の方に歩いてこられました。
そのとき、なぜか
恵比寿さんの絵のTシャツ
を着ておられたことを、今でも鮮明に覚えているのです。
源九郎とよは、鈴木さんに間違いないと確信し、鈴木さんに声をかけました。
始めまして
と、とても優しい笑顔が返ってきました。
鈴木さんを中川のおじちゃんとおばちゃんに紹介すると、中川のおじちゃんが、とてもわかりやすく神社の由来や、宮司さんがなくってから今に至るまでの話を鈴木さんに説明しました。
鈴木さんは、とても熱心に聞いてくださり、時々メモを取りながら、
私で力になれるのであれば協力させてください。 まず、提案なのですが、神社のホームページを作りましょう
と言ってくださいました。
源九郎とよ達は、
と不安そうに返事を返したところ、鈴木さんは
私はプログラマーをしておりますので、簡単なホームページなら作れます。 ただし、デザインは得意ではないので、期待はしないでいただきたいのですが、私に任せていただけませんか? 費用は私から神社への寄付ということで・・・。
と言ってくださったのです。
源九郎とよは、鈴木さんのブログで神社のことを紹介していただけるだけでもすごいことだと思っていたので、ホームページを作っていただけると聞き、嬉しさで舞い上がりました。
おじちゃんも、
こんなに嬉しいことはありません。
と大喜びでした。
同時に鈴木さんは、自分のブログにも源九郎稲荷神社の特集を組んでくださり
異聞 源九郎稲荷神社
とよさんをはじめとする源九郎稲荷神社復興の軌跡(ダイジェスト)
「序・幸運論と奇蹟 」
「1.はじまりは、とよさんでした。 」
として、早速掲載してくださいました。
その反響はとても大きく、鈴木さんブログを通じて、その後いろんな方が、私達を応援してくださるようになったのです。
そしてその後、鈴木さんは何度も神社に足を運んでくださり、ついにホームページが完成しました。
(残念ながら、鈴木さんが作ってくださったホームページは、鈴木さんが亡くなられてから、管理していたパスワードなどがわからず今は削除となってしまいました。現在は、新しく来られた宮司さんが公式ホームページを立ち上げられたので、源九郎とよは、鈴木さんのことや復興活動の様子などを記録として残しておきたいと考え、現在の復興記録活動のホームページを自分で立ち上げることとなりました)
鈴木さんが作ってくださったホームページの挿絵は、中川さんの娘さんが書いてくれました。
鈴木さんは、
とりあえずは、私のセンスのないデザインでがまんしてください
と謙遜しながら、源九郎とよ達にできたてホヤホヤのホームページを見せてくれました。
中川のおじちゃんは、大喜びでした。
鈴木さんがとても苦心してくださったことが、ホームページには滲み出ていて、大切な宝物ができたようで感動しました。
そして、鈴木さんは、
神社の風景を写真に撮って載せるだけでもいいので、復興活動を最初に始めたとよさんの目線で書くことが、神社のことを多くの方に知ってもらう一番の方法ですよ
と言ってくださいました。
この鈴木さんの一言から、現在アメブロに開設している「源九郎Toyoの源九郎稲荷神社復興物語❤そして・・・バンコク奮闘記」
というブログを、当時は「とよの源九郎稲荷塾」という名前で始めることになったのです。
私達と鈴木さんの出会いは、こうして始まったのです。
鈴木家と神社スタッフとの絆はきっとこれからも続きます・・・
そして、その後も
夏の夕涼み会には鈴木さんの3人のお子さんが来てくださったり、
3人のお子さんと一緒に鈴木さんがボランティアをなさっていた都祁村の畑を手伝いにいったり、
と鈴木さんの家族とも交流が深まりました。
鈴木さんは、すっかり復興活動の中心メンバーとなって活動してくださるようになっていました。
ところが・・・秋
鈴木さんは仕事で、単身東京に長期出張となりました。
その間、神社では「はならぁーとなら」等のイベントが開催され、鈴木さんの奥さんが子供さん達を連れて、見に来てくださいましたが、鈴木さんの姿はありませんでした。
源九郎とよは、鈴木さんにいっぱい話したいことがあって
神社はどんどん活気に満ちてきましたよ!!
とメッセージを送りました。
後に、鈴木さん
とおっしゃられていましたが、このときに体調を悪くされたようでした。
結局、東京から帰られた鈴木さんは、体調を壊されてなかなか神社には来てくださらず、源九郎とよが鈴木さんと出会えたのは、2011年の大晦日の日であり、それが最後になってしまったのです。
鈴木さんとは、一緒にいろんなことをやっていきたかったです。
まさか突然、お別れがくるとは思いもしませんでした。
鈴木さんの奥さんは
「主人は源九郎稲荷神社が大好きでした。」
そう言って、お葬式を出されて間もない時に、子供さんたちと一緒に神社に来てくださいました。
源九郎とよは、その言葉を思い出すと、今でも感謝の気持ちでいっぱいになり、涙が止まらなくなります。
その後・・・
鈴木さんを偲んで、一緒に活動したメンバーが集まりました。
奥さんと3人のお子さんも来て下さいました。
長女の「二代目」(お父さんの跡をついで二代目奈
それを聞いて、鈴木さんは、この子達と共にちゃんと生きつづけているんだなと嬉しくなりました。
そして、鈴木さんが愛した「奈良歴史ミステリーハンター」というブログを、「二代目」が引き継ぐようにしてくださった奥さんに心から感謝します。
突然大切な方を亡くされ、計り知れない心労があったと思います。
まだ小さな子供さんを抱えて、これからも大変だと思います。
けれど、鈴木さんが結んでくださった、鈴木家と源九郎稲荷神社の復興メンバー達との絆は、きっと、これからも続いていくと思います。
源九郎とよは、3人のお子さんの成長がとても楽しみです。
3人が大きくなったときに、何らかの形でお父さんの残した思いを受け継いでいってくれたら素敵だなと思います。
成人した3人のお子さん達が神社に来てくれる姿が、源九郎とよには目に浮かびます。
そして、結婚して子供を連れて
「おじいちゃんが好きだった神社だよ」
と鈴木さんのお孫さんに話しかけている姿が目に浮かびます。
鈴木さん・・
そうやって、あなたの子供達の心に生き続ける神社にしていきます。
いつまでも、いつまでも、天国で私達をお見守りくださいね。
源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクス経営奮闘記」
それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。
なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。
でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。
元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語