ある日、源九郎とよが神社を訪れた際に、中川のおばちゃんから、
『この社務所の今の状態では、電気の配線が古すぎて漏電の恐れがある。とても危ない状態です。 と言われてん。 どうしたらいいいのか聞いたら、電気関係の配線をすべてやり直さないといけないと言われてん。 100万円くらいかかるらしいわ~。 そんなお金、神社のどこにもないし・・・・
いつ火事になっても不思議じゃないですよ』
という話を聞きました。
漏電による神社の火事は、結構あるので、とても心配です。
そのため、私達は神社に来ると、できるだけ電気を使わないようにとしています。
社務所は、社殿が建てられた少し後位に建てられていると思うので、古ければ大正時代、新しくても昭和の初期の建物になります。
先日、大工さんに測定してもらったところ、床が東西に15センチ傾いていることがわかりました。
源九郎稲荷神社の社務所に来たことがある方ならよくお分かりいただけると思いますが、座っていると体が傾いているので、慣れないと気分が悪くなります。
何度か柱を補強して建物を支えている状態であり、正直地震とかあれば倒れるのではないかと心配です。
ふすまや障子の取り付けも悪くて、私達が掃除するまでは、開かないふすまや障子が大半でした。
今は、大工さんに、少しづつ直してもらい開くようになりました。
また、隙間だらけで建物内はとても寒くて、この時の冬は中川のおじちゃんとおばちゃんが、服を着込みながら神社を守ってくださいました。
この頃の神社は、当時宮司さんもいなかったこともあり、個人の祈祷を頼まれても、別の神社の宮司さんにお願いして来てもらうため、祈祷料はその宮司さんに渡さなければならず、神社には入らないシステムになっていました。
さらに・・・神社の祀りごとで、よその神社から宮司さんをお願いするときは、少しづつ貯めたお賽銭や寄付で賄っていました。
あとは、中川さんや源九郎とよが自腹を切ることも多く、ボランティア活動といえども常に結構な出費を強いられておりました。
本当に神社が好きでなんとか復興させたいという思いがなかったら、とても続けることができなかったと思います。
けれど、この時は、それぞれ自分の生活がある中
修繕費に100万円
というのは、とても大きな額になりることから、源九郎とよには、なかなか自腹を切って出す勇気がありませんでした。
ブログに漏電の恐れがあることを書いたところ・・・
こんな神社の状況を、とよは当時書いていたアメブロに掲載したところ・・・
なんと、数名の方から現金で寄付をいただきました。
中には、全く匿名で寄付してくださった方もおられました。
お礼の返事を書くことができなかったので、今でも本当に心残りなのですが、会ったこともない方なのに、その心優しさに源九郎とよも中川さん夫妻も涙しました。
また、心のこもったお手紙まで添えてくださる方もおられました。
さらに、この件に関しては、
寄付だけでなく様々な意見をくださったり、
何とか力になれないかと、電気関係の仕事をされている方が社務所の状態を見に来て下さったり
・・と、いろんな形でお尽力をいただきました。
お陰様で、漏電の修理費用の一部が集まり、修理も完了して、その後安心して社務所をお守りすることができるようになりました。
この時ほど、人のありがたさに感謝したことはありませんでした。
・・・・ところが!!
なんと、このことに対してクレームをつけてくる方もおりました。
神社として公式に寄付を募るのではなく、個人のブログで寄付金を集めるのは問題がある
ということでした。
宮司が不在でボランティアの人間が中心になって金集めをするのはおかしい・・という厳しい意見をコメント欄に書き込まれました。
後に、このことを、お目にかかる機会があった歌舞伎俳優の市川猿之助さんに、中川さん夫妻と共にお話したところ・・・
自分のことのように怒りを露わにしてくださり、その後に行われた公演で源九郎稲荷神社のことを延々とお話してくださったのですが、その際に、
といったことを訴えてくださったことがありました。
そんなことから、市川猿之助さん自身も、神社に現金を寄付してくださったり、神社の祭事に使用する幕を寄付してくださったりと、未だに源九郎稲荷神社のためにサポートをしてくださっております。
漏電の次は崩壊?!
そんなことから、なんとかお正月を迎える前に漏電の心配からは解放されたわけなのですが・・・
ある日、源九郎とよが神社に行くと、またまた中川のおじちゃんが、困り顔で
と言うのです。
詳しく話しを聞くと・・・
いつも、源九郎稲荷神社に壊れた箇所を修繕してくださる大工さんが、この年の春の例祭に向けての準備のために、神社の倉庫に入ったところ、倉庫の屋根が今にも崩れそうだったらしいのです。
中川のおじちゃんに案内されて、源九郎とよが倉庫を見に行ったところ・・・
なんと!!
かろうじて1本の梁で屋根が支えられている状態であり、地震でも起これば、一機に屋根が崩壊するとても危険な有様だったのです!!
それで、これは漏電よりも大事になるということで、先日大工さんに修理の見積もりをしてもらいました。
そのとき、一緒に社務所も点検してもらったのですが、社務所も何とか柱だけでもっている状態であり、いつ屋根が崩壊してもおかしくない状態であることがわかりました。
考えて見ると・・・
今まで、誰もすんでおらず、荒れ放題に放っておかれた神社です。
あちらこちら痛んでいるのは当たり前といえば当たり前です。
と、おじちゃん、おばちゃんと話ておりましたが、次から次へと、なんとかしないといけない問題が山積みです。
でも、こうやっていろんな問題が次から次へと出てきて、そこで、皆で力を出し合いながら対処していくことが、意味のあることなのかもしれません。
と源九郎さんに言われているみたいです。
この頃の神社には、子供スタンプラリーのお陰で、毎日学校帰りに小学校の子供達が立ち寄って遊んでいってくれています。
その子供達の輪はどんどん広がり、本当に多くの子供達が、毎日神社を訪れてくれるようになっていました。
その子達が、やがて大人となり親となったときに、毎日神社を訪れてお参りをしたこと、遊んだこと、神社でいろんな大人達と触れ合ったことを、次の世代へと継承してくれることだと思います。
そのためにも、源九郎稲荷神社は、未来へと続く、人々に愛される神社でありつづけてほしいと思います。
そのための役割を、今の時代を生きる中川さんご夫婦や源九郎とよたちボランティアスタッフ等が、担わなければいけないのかもしれません・・・・・・。
源九郎とよは、現在バンコクに来てしまっているので、とても偉そうなことは言えないのですが、今でも神社を守り続けてくださっている中川さんご夫妻は、間違いなく「後の世にも愛され語り継がれる神社」として、日々、与えられた役割をこなしてくださっています。
そして、そんなご夫妻を、洞泉寺町の住民の方やボランティアスタッフや大和郡山市役所の職員などが支えてくださっています。
源九郎とよも、いつも心にある思いは、
できるだけ早く傾いた社務所を建て替えたい
ということです。
そのために、なんとかお金を貯めようと、タイという異国で奮闘しているのですが・・・
なかなかコロナ禍の痛手が大きくて、立て直すのに精一杯な現状ですが、少しずつがんばっていきたいと思います。
源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクス経営奮闘記」
それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。
なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。
でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。
元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語