洞泉寺町の空家になっていた遊郭の1件を借りて、2012年8月10日から
駄菓子屋さんをはじめました。
お店の名前は「きつねの駄菓子屋」です!!
残念なことに、この遊郭はすでに取り壊されてしまったため、今は存在しておりません。
けれど、この復興活動の記録として残しておきたいので、ご紹介しておきたいと思います。
きつねの駄菓子屋さんはこんな経緯で始まりました。
この遊郭は、源九郎稲荷神社の参道沿いにありました。
当時、まだ建築の専門学校の学生さんだった伊藤くんは、この遊郭のような古い日本家屋の建物にとても魅力を感じており、なんとか古い建物をの現存させていきたいと考え、そのため当時通っていた大学を休学してまで、建築の専門学校に通うと同時に、大和郡山市の古い家屋の復興活動をボランティアで行っていました。
この遊郭も、彼の活動の中の1家屋であり、空き家になった家屋をなんとか有効活用できないものかと、色々と知恵を出してくれていました。
そんな中、源九郎稲荷神社の復興活動が活発的になり、多くの参拝客が集まってくれるようになりました。
そして、子供スタンプラリーの開催で子供達もたくさん神社を訪れてくれるようになったこともあって、子
という提案が伊藤くんからあったのです。
と、楽しいこと大好きな語り部中川のおじちゃんも大賛成し、もちろん源九郎とよも大賛成したこことから、さっそくおじちゃんか遊郭の所有者に連絡してもらって許可をいただき、駄菓子屋さん開店に向けて準備が始まりました。
幻のきつねの駄菓子屋さんはこんな感じです
お店の看板等は、ポップ作家である中川のおじちゃんの娘さんが書いてくれました。
遊郭の中を掃除して、机を置いて、お菓子を並べる籠を購入して・・・
と準備が進みました。
そして、お菓子に関しては、源九郎とよの車で、中川のおじちゃん、伊藤くんの3人で日本橋の卸問屋まで買い付けに行きました。
お菓子の購入代金は、ほとんど中川のおじちゃんが出してくださいました。
駄菓子屋さんの名前は、全員一致で「きつねの駄菓子屋さん」に決まりました。
夕涼み会をメインとしておりましたが、子供達が夏休みに入ることから、
8月10日開店
となりました。
お店の正面はこんな感じです
この垂れ幕は、源九郎とよが書きました。
こんな感じでお菓子が陳列されました。
昔なつかしいお菓子がたくさんあります。
冷たいラムネもあります
お店の中の可愛いお面の絵も、中川さんの娘さんが書いてくださいました。
きつねの駄菓子屋さんの売り上げは、すべて源九郎稲荷神社に寄付することになりました。
今では本当に幻になった狐の駄菓子屋さんですが、子供たちに大評判で、お菓子の補充買い付けが大変でした!!
こんなふうに、復興活動の初期は、みんなでいろんな知恵を出し合いながら、いろんなことをやりました。
とても、懐かしい思い出です。
物語の続き第84話はこちら
源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクス経営奮闘記」
それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。
なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。
でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。
元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語