市川猿之助さんは源九郎狐そのものです(源九郎稲荷神社復興物語 第100話)

今回の登場人物
源九郎とよ
源九郎とよ
源九郎とよ(本名土井美苗):復興活動物語のボランティアチームスタッフ代表。この当時は警察官をしておりました。当時は本名を隠してペンネームの「源九郎とよ」で活躍しておりました。
中川おじちゃん
中川おじちゃん
語り部「中川のおじちゃん」:源九郎とよと一緒に神社の復興活動をスタートさせることとなる神社の総代さん。今では神社の「語り部氏」として、雑誌やテレビなどにも取り上げられる神社の顔。陽気で優しくてダンディーな人で、とよが第二の父と仰ぐ存在。
中川おばちゃん
中川おばちゃん
中川のおばちゃん:語り部氏の奥様。神社の境内で四季折々のお花を育てているお花の守人。陽気で優しくて、笑っているところしか見たことがない朗らかな人

 

お忍びで源九郎稲荷神社に参拝くださった「市川猿之助」さん

 

前回は、とよが源九郎稲荷神社の復興活動について、市川猿之助さんに手紙を書いたお話をしました。

 

2013年2月1日

猿之助さんは、とよの手紙を読んでくださり、なんとその後、忙しい仕事の合間を縫って神社に参拝くださったのです。

 

 

この時、神社には中川のおばちゃんしかおらず、とよも中川のおじちゃんも残念な思いを噛みしめました。

源九郎とよ
源九郎とよ
一度、お会いしたかったな~

中川のおばちゃんは、とにかく焦りまくったらしくて、

中川おばちゃん
中川おばちゃん
お話したいことたくさんあるのに、口が・・口が・・まわらんかった~

と、とても後悔してましたが、それでもちゃっかりと一緒にお写真は撮ってもらっていました。

 

猿之助さんは、新春から大阪松竹座で襲名公演として「源九郎狐」を演じてくださっていたので、とよは中川のおばちゃんに

源九郎とよ
源九郎とよ
今回の襲名公演が終われば、神社にお参りに来てくれるような気がする

と話をしておりました。

 

そして、猿之助さんが源九郎狐を演じる間事故がないようにと、源九郎狐さんお願いしておりました。

 

大阪公演だったので、とよも初めて猿之助さんの「源九郎狐」を観ることが叶いました。

この様子は、後程書きますが、まずは猿之助さんが神社に参拝に来てくださったときの様子をお話しますね。

 

猿之助さんは、日本酒をお供えとしてくださった後、

市川猿之助
市川猿之助
神様のお水がないですね

と言われたそうです。

 

おばちゃんは、神社に来たばかりで、これから神殿を整えようと思っていた矢先に猿之助さんが来られたので、まだ全く何も用意ができていなかったため、焦りに焦ったそうで

中川おばちゃん
中川おばちゃん
い、い、今から用意するところだったんです~

と苦し紛れに言ったそうです。

 

すると、猿之助さんは

市川猿之助
市川猿之助
僕がしますよ~

と言って、手水社で容器を洗ってからお水を入れ、神殿周りを綺麗にしてから、お酒をお供えされたそうです。

 

中川おばちゃん
中川おばちゃん
猿之助さん、すごく手際が良くてびっくりしたわ~
神様も猿之助さんが身の回りのお世話をしてくれるなんて、びっくりしはったやろね~

と、猿之助さんが楽しそうにお水を変えたりする姿を見ながら思ったそうです。

で・・・、おばちゃんは、猿之助さんのすることを茫然と見ていただけで、身体が固まってしまい、全然動けなかったそうです。

 

その後、猿之助さんは、狛狐の「玉ちゃん」と「巻ちゃん」のところに歩み寄り、何度も何度も、二匹の体を愛おしそうに撫でていたそうです。 次に薬師寺に行くということで長いはされなかったそうですが・・・

 

中川のおばちゃん曰く、

中川おばちゃん
中川おばちゃん
猿之助さんは、体が小さくて帽子を被っていたので普通のお兄さんという感じやったから、誰も猿之助さんだと気が付かないと思うわ。

私もとよさんから、「猿之助さんに手紙を書いたから神社にお忍びで来てくれるかもしれない」と言われてなかったら見過ごしていたかもやわ~。

爽やかで気さくな人やったけど、やっぱりどこか賢そうで知的に感じたわ。

ということらしく、とにかく突然のことで緊張したけど、想像していたとおりの好青年だったそうです。

 

この後2016年5月にも、猿之助さんは源九郎稲荷神社にお参りに来てくださったのですが、その時もやはりおばちゃんしかいない状況でした。

おばちゃんは、またまたばっちりツーショットで写真を撮っておりました。

 

市川猿之助さんの「源九郎狐」

 

さてさて、一番記録に残しておこなければいけないのが、市川猿之助さんが演じた「源九郎狐」のことです。

話を巻き戻して、三代目市川猿之助さん演じる「源九郎狐」を始めて観た時、とよがどれほど感動したかを振り返りたいと思います。

 

歌舞伎に縁のなかったとよは、一度も猿之助さんの「源九郎狐」どころか、他の舞台も観たことがありませんでした。

けれど、念願かなって遂に「市川猿之助襲名披露興業:初春大歌舞伎」に、松竹座へ行くことができました。

とよの源九郎稲荷塾・絆 

 

この時の興行は、

三代目市川猿之助の二代目猿翁、

二代目市川亀次郎の四代目猿之助

香川照之の九代目中車

の襲名とういことで、

澤瀉屋

にとっては、最高にめでたい興行だと思います。

もう、こんな姿は見れないんだろうな~

とよの源九郎稲荷塾・絆 

 

源九郎稲荷神社と澤瀉屋との関係は、二代目の猿翁さんのときから始まりました。

 

二代目猿翁さんは、三代目猿之助を襲名したとき

源九郎稲荷神社

を参拝してくださいました。

とよの源九郎稲荷塾・絆 
(源九郎稲荷神社の社務所に飾られている写真)

 

そして、「源九郎狐」は、三代目猿之助さんの十八番です。

「三代目が狐か狐忠信が三代目かわからなくなる位、神業のようにすばらしい。」

と亀ちゃんが言っていましたが、三代目は、本当に素晴らしい源九郎狐を演じられます。

 

三代目の源九郎狐をDVDで何度も、何度も見ましたが、繰り返し見ても素晴らしく、

私の頭の中では「源九郎稲荷神社の源九郎狐」は、三代目が演じる源九郎狐そのものであり、

源九郎さんのことをブログに書くたびに、いつもその姿が頭の片隅に存在していました。

 

 

そんな源九郎狐を、四代目猿之助がどう演じるのか・・・・

本当に楽しみでなりませんでした。

 

四代目猿之助は、もともと知的でありながら毒を持つ、

その強烈な個性から、亀次郎時代から多くの人が魅了されファンになっていました。

 

 

前回のブログにも書きましたが、源九郎稲荷神社のスタッフとして活動しだしたころ、雑誌に載っていた私服姿の亀ちゃんの写真を見て、なぜか

あっ、源九郎狐だ!

と思い、それから、ずっと

「亀ちゃんの演じる源九郎狐が観たい」

と思うようになりました。

 

 

そして、遂に2013年1月18日

義経千本桜「四ノ切」

での、源九郎狐と会うことができたのです。

 

 

この舞台を観た時の感想を、とよはアメブロで書いておりますので、その時の記事を引用したおと思います。

 

その前の口上で、猿之助さんが顔をあげた瞬間、すでにそこに 源九郎狐 がいました。以前雑誌の写真を見たときに、あっ、源九郎狐だ と思った時と、全く同じ感覚になりました。

演じる前から、すでに彼の中に源九郎狐がいることを感じました。

そんなふうに感じさせる役者は、本当に数少ないと思います。おそらく、26日の千秋楽まで、彼の中には源九郎狐が存在するのだろうなと思いました。

 

源九郎稲荷神社で、ずっと源九郎狐を感じてきた私には、

猿之助さんが三代目が演じる源九郎狐を評した際、「三代目が狐か狐忠信が三代目かわからなくなる」と感じたのと同じように

四代目猿之助が源九郎狐なのか、源九郎狐が四代目かわからなくなる

という感覚が、演技を見る前から感じずにはいられませんでした。

 

そして、実際に彼が演じる「源九郎狐」を見て・・・心が震えました。

三代目猿之助とも違う、独特の源九郎狐に出会えました。

 

三代目猿之助が極めた究極の源九郎狐の形を崩さないようにしながらも、四代目でしか演じえない源九郎狐がいました。

人間の気配を感じなかった・・・・

と言ったら、変な表現になるのかもしれませんが、軽やかな身のこなし、一つ一つの手の動き、体の線、それらすべてが狐でした。

澤瀉屋ならではの数々の仕掛けや早変わり、宙乗り狐六法などの演出のすごさもあるものの、簡単には人の気配を消せるものではありません。

 

彼は最初から最後までずっと狐でした。

人が狐を演じたのではなく「狐が源九郎狐という役を演じた」というような気にさせられました。

また、彼の源九郎狐には、狐のいらずらっぽさや、親を思ういじらしさ といった「可愛らしさ」を存分に感じることができ、愛おしさでいっぱいになりました。

自分の正体をばらした後、父と母の皮でできた初音の鼓を悲しげな表情で見つめながら去っていく場面では涙が止まりませんでした。

周りの人も、みんな泣いていました。

 

一変して、義経から鼓を受け取った後の喜ぶ様は、狐独特の身のこなし方で、なんともいえずいじらしくて、観客からは笑いが漏れました。

その後神通力で悪僧たちを散々に翻弄する場面は、源九郎狐ってこんなふうに神通力を使うんだな~と感心しました。

・・・というのも源九郎稲荷神社に残された伝説では、源九郎狐は、数々の神通力を使ったことでとても有名だからです。

なかでも、このときの表情がとても印象に残ってます。

神通力で敵をなぎ倒すと、源九郎狐は「にやり」とした表情になるのです。

不思議な力の使い手ならではの表情・・・

今までの源九郎狐が見せたことのない、自信に満ちた表情でした。

 

そして・・・最後に古巣へと帰って行く源九郎狐・・・最大の見せ場である「宙乗りの引っ込み」です。

「吊るされているワイヤーが切れたら大参事になる」と思うくらい、高く宙に舞いあがった源九郎狐ですが、途中からは 神通力で宙を飛んでいると錯覚してしまう位、ワイヤーが目に入らなくなるすばらし動きでした。

 

桜の花吹雪が舞う中、去って行った源九郎狐を見て

あぁ・・

もう終わったのか・・・

源九郎狐は行っちゃったんだな・・

と思うと、とてもさみしくなりました。

 

すると・・・!!!!

なんと、舞台の裾から再び源九郎狐が現れたのです。

もう帰りかけていたお客さん達も、みんな舞い戻ってきて大喝采でした。なんという猿之助さんのサービス!!

どこまでも観客を喜ばせようと、大切にするその精神

には感激しました~

 

感動の上に感激までもらってしまって、大感謝です!!

とよの源九郎稲荷塾・絆 

 

初めて見た「源九郎狐」の姿・・

とよは稚拙な感想しか書けないでおりましたが、本当に楽しいひと時をいただきました。

 

その夜は、興奮してなかなか寝付けませんでした。

 

その後もとよは、何回か猿之助さんの舞台を観に行きました。

歌舞伎だけでなく、踊りの舞台も観に行きました(彼の踊りは本当に素晴らしい)

中川のおじちゃんやおばちゃんと一緒に、義経千本桜を観に行ったこともあります。

 

けれど、警察を辞めてバンコクに移住することなり、歌舞伎はお預け状態となりました。

スーパー歌舞伎の「ワンピース」も観たくて観たくてなりませんでしたが、とにかくバンコクでの生活が一段落するまでは我慢だと自分に言い聞かせて過ごしました。

 

その後コロナによるパンデミックがやってきて、日本に帰ることさえできなくなりました。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
日本に帰れるようになったら、もう一度「源九郎狐」に会いに行くぞ~!!

猿之助さんのスーパー歌舞伎も絶対に観に行くぞ

 

と、源九郎狐との再会を楽しみにしながらがんばっておりました。

でも、もう二度と猿之助さんの源九郎狐には出会うことができないのかな~??

 

市川猿之助さんからの最高のサプライズ~「水木十五堂賞」授賞式

 

2014年12月26日

市川猿之助さんが「水木十五堂賞」を受賞され、大和郡山市で行われる授賞式に出席してくださいました。

 

お付きの方から聞きましたが、猿之助さんは今まで芸能以外の分野で賞をもらわれても、授賞式への出席などは多忙のためすべてお断りされてたそうです。

けれど、「水木十五堂賞」授賞式の連絡が来た際、授賞式が源九郎稲荷神社がある「大和郡山市」だと知り、日程を調整して出席してくださることになりました。

 

それまでも、猿之助さんはラジオ放送で、源九郎稲荷神社のことを延々とお話してくださったこともあり、

神社の復興活動についてはとても気にかけてくださっている

ことをとよ達スタッフは嬉しく思っておりました。

 

この賞の授賞式前に、控室で猿之助さんとお会いすることができました。

とよは、舞台以外で初めて猿之助さんにお会いしたのですが、印象としては

源九郎とよ
源九郎とよ
すごく細い人だな~

と思いました。

 

そして何より

源九郎とよ
源九郎とよ
猿之助さんに会えたというより、源九郎狐ちゃんに会えたような気分

だと思いました。

 

猿之助さんは、とよ達が源九郎稲荷神社のスタッフだと知ると、神社のことをあれこれと聞いてこられました。

中川のおじちゃんが、

復興活動が大変だったことや

今も社務所が傾いていつ倒壊しても不思議ではないことなど

の説明をはじめると、段々と猿之助さんの顔色が変わって行きました。

 

市川猿之助
市川猿之助
スタッフの方達だけで復興活動をされているのですか?

行政は何も協力してくれないんですか?
寄付とかもないんですか?

と、語尾を荒げられました。

 

源九郎とよ
源九郎とよ
猿之助さんは完全に怒っているわ~ 

と思いました。

 

その後、お付きの方が、とよの方を指し「この方が土井さんです」と紹介してくださいました。

 

猿之助さんは、怖い顔から笑顔になり

市川猿之助
市川猿之助
あっ、土井さんですか~。
始めまして

と言って握手をしてくださいました。

 

とよは緊張してガチガチになってしまい、猿之助さんに何も話しかけることができませんでした。

 

中村勘九郎さんが来られたときも、勘九郎さんの案内係をしていたため、舞台への待合ゲートで、5分間もの長い間、勘九郎さんのすぐそばに居たのに、全く何も声をかけれなかったのを思い出しました。

 

やはり、この役者さんというのは、そこに居るだけで、すごいオーラ―を放っているんですよね。

 

この後、猿之助さんを囲んで集合写真を撮影し、この写真を神社の社務所に飾っているのですが、

参拝された方が、「猿之助さんの顔が狐さんみたい」

だと、見る人見る人がおっしゃられます。

 

確かに、とよも猿之助さんに会えたというより、「源九郎狐」に会えたという印象の方が強かったので、すでにこの時、猿之助さんには源九郎狐さんが降臨していたのかな? なんて思ってしまいます。

 

そして、なぜか、トヨの顔も、中川のおじちゃんの顔も黒丸で隠しているスタッフの顔も、みんな「狐」顔をしているのです。

源九郎狐一族集合写真 みたいな感じになっておりました。

 

猿之助さんの感動するスピーチ

 

猿之助さんは、多分野で幅広い知識を持ったとても賢い人であることは有名ですが、

この時の授賞式では、凄い知恵者だといこともわかりました。

 

猿之助さんは、受賞された浮世絵の話はそこそこに、

スピーチのほとんどを、源九郎稲荷神社の話をしてくださったのです。

そして、未だに神社が大変な状態であることを訴えてくださり、

市川猿之助
市川猿之助
この式が終わったら、みなさん必ず源九郎稲荷神社に参拝してください。

でも手ぶらでは駄目ですよ~。
必ずお賽銭を入れてください。

それも500円以上でないとダメです。

と神社のマーケティングまでしてくださったのです。

源九郎稲荷神社には、復興への物語がありますが、猿之助さんは、その復興物語の幅を大きく広げてくれただけでなく、物語の中に、猿之助さんだからこそできる「マーケティング」という一つのシステムを組み込んでくださいました

 

源九郎とよ
源九郎とよ
やってくれるじゃん!

一人の才能溢れる歌舞伎役者だけではなく、彼には経営者の才覚もあると実感した瞬間でした。

彼がスピーチを通じて、源九郎稲荷神社のためにしてくれたことは、最高のマーケティングだと思います。
本当に、魅力溢れる男だと思いました。

源九郎とよ
源九郎とよ
4年前のこの季節、
誰もいない荒廃した源九郎稲荷神社の掃除を、中川さんご夫婦とたった3人で始め・・・

そこから徐々に仲間が集まり、復興という2文字が大きな夢として、私達の心に灯ったんだったな~

そして、今日ここに、四代目市川猿之助さんと言う凄い味方を得ることができた気がする

 

猿之助さんのスピーチを聞きながら、とよは涙していました。

横を見ると・・・中川のおじちゃんも涙をぬぐっていました。

 

 

さらに、猿之助さんは、水木一五堂賞を受賞された副賞の50万円を源九郎稲荷神社に寄付してくださいました。

それだけでも感動で涙が出ましたが、

市川猿之助
市川猿之助
いつか、この大和郡山城ホールで、義経千本桜四ノ切を公演したい

とい言ってくださったのです。

 

また、とよ達には

市川猿之助
市川猿之助
神社の復興活動のために、僕の名前をどんどん使ってください。

とも言ってくださいました。

 

この授賞式の後、源九郎稲荷神社はかつてない人に溢れていました。

そして、今までみたことがない金額のお賽銭が集まりました。

 

この日は、猿之助さんのお陰で、源九郎稲荷神社復興スタッフにとって感動だらけの1日となったのです。

 

その後も、猿之助さんは、神社の式典用の幕を奉納してくださいました。

 

市川猿之助さんへの感謝の気持ちはいつまでも持ち続けていきます

 

とよは、猿之助さんにお会いしてから

源九郎とよ
源九郎とよ
いつか、源九郎稲荷神社において、狐の舞を踊ってほしいな~

という夢を持ちました。

その姿を想像するだけで、幸せな気分になりました。

 

その夢はきっと叶わないだろうし、もう二度と、彼の「源九郎狐」を観ることもできないのかもしれないけれど、その愛おしい姿はとよの心の中深くに刻まれています。

 

猿之助さんと源九郎狐に出会えたことは、今から思うと

復興活動に頑張って来たとよや中川さんご夫婦に対する

源九郎稲荷大神様からのお礼

なのかもしれないと感じています、

 

そして、猿之助さんが、ずっと神社のことを気にかけてくださったことは、私たちはずっと忘れません。

 

猿之助さんが源九郎稲荷神社のことを気にかけてくだったように、とよ達スタッフも、この先ずっと猿之助さんのことは忘れないし気にかけて行くだろうと思います。

なので・・・

いつか再び・・・

彼が神社の境内に足を踏み入れてくださることを、心待ちにしております。

 

源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクスパ経営奮闘記」

 

源九郎とよ
源九郎とよ
源九郎稲荷神社がある程度復興して、多くの方が参拝に来てくださるようになった2014年、とよはある決意をします。

 

それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。

とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。

 

なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。

 

でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。 

 

元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語