さて、前回の記事では第52回お城祭りの源九郎白狐御渡の様子をお知らせしました。
今回は、裏話としてお祭りの日の源九郎稲荷神社の様子をお知らせしたいと思います。
この日はとてもほのぼのとする再会がありました。
この復興記録記事に、再三登場してくる方で、源九郎稲荷神社のホームページを作ってくださった
の鈴木さんという方がいます。
この方は、2012年2月に若くて急死されました。
鈴木さんには
中学生のお兄ちゃんと、今年から中学生になったお姉ちゃん、小学生の妹ちゃん
の3人のお子さんがいます。
2011年に開催した第1回の夕涼会には、鈴木さんと3人のお子さんが来てくださり、源九郎とよは、ミニ白狐のお渡りを3人と一緒に歩きました。
(写真左が私、真ん中の狐面を被ってちょうちんを持っているのがお兄ちゃん)
鈴木さんは、源九郎稲荷神社が大好きだったので、鈴木さんが亡くなれてからも、奥さんはお子さん達を連れて時々神社に来てくださいました。
そんなことから、源九郎稲荷神社の例祭の時も、奥さんと子供ちゃん達が神社に来てくださったのですが・・・
ここで、とってもすてきな再会がありましたので、これも源九郎稲荷大神様のちょっとした計らいのような気がするので、是非とも皆様にしっていただきたいくて、記事にすることにしました。
この当時、まだ源九郎稲荷神社は、宮司さんが不在だったので、お隣り町の
薬園八幡宮のH宮司さん
が、兼務で源九郎稲荷神社の神事を執り行ってくださっていました。
H宮司さんは、本業は小学校の先生になります。
そして、なんと!!
鈴木さんの長男のRくん
が、H宮司さんのクラスの生徒さんだったのです。
お兄ちゃんは、H宮司さんを見て、本当にびっくりしていました。
そして、久々に再会を果たした二人は、大喜びで、社務所で寄り添ってお昼を食べていました。
なんともほのぼのとした素敵な光景でした。
人の縁というのは、簡単には途切れないものなんですよね~
鈴木さんのご家族は、今はもう奈良には住んでおらず源九郎稲荷神社に来る以外は奈良に来ることはないそうです。
それが、卒業していった生徒と、こんな形で出会えるとは・・・不思議ですね。
それと・・
鈴木さんのお子さんは3人とも、お父さんの死を乗り越えて、とても元気にしてくれていました。
その姿を見て、源九郎とよも中川さんも、この日参列してくださった玄明院岩岸住職もとても安心しました。
この日、源九郎トヨが当時書いていたブログを見て駆けつけてくださった源九郎稲荷神社サポーターの方もたくさん来てくださいました。
例祭の後は、中川さんご夫婦、復興活動スタッフの伊藤くんや、K-poolのむっちゃん、ゆっこちゃん、そしてサポータの方々等が集まり、みんなで復興活動の話などで盛り上がる盛り上がる!!
さらに、岩岸住職のおもしろいお坊様業界の話なども加わり、とても楽しいひと時でした。
復興活動物語の目次はこちら
源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクス経営奮闘記」
それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。
なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。
でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。
元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語