夕涼み会の反省 ~準備不足~
無事に終わった手作りのお祭り「夕涼み会」でしたが、反省事項もたくさんありました。
今日は、源九郎とよが準備不足のため、色々と迷惑をかけてしまった反省点についてお話したいと思います。
一番反省させらた出来事が・・・・
夕涼み会1日目のことでした。
みなさん、朝から、テントを出したり、椅子を並べたりと大忙しです。
電気屋さんも、境内の明かりの設置をせっせとしてくださっています。
みたらし団子とかき氷のスペースも確保され、具材も届きました。
金魚すくいの用意も完璧です。
午前中に神社側としての用意は全て完了したので、私はゆかたに着替えるため自宅に戻りました。
なぜなら、この夕涼み会は
「浴衣を着る」
ということも、目的の1つに入っているからです。
日本の伝統服である「浴衣」。
ひと昔前は、お祭りといえば、みんな浴衣を着ていました。
そんなことから、浴衣を着てお祭りに来てくだされば、みたらし団子1本と金魚すくいが1回タダになるという宣伝も流しました。
お陰様で、沢山の人が浴衣姿で来てくださいました。
ところが・・・・
私は、ここで大失敗をしていまうのです。
お祭りの大イベントである、
西澤守さんのアルゼンチンタンゴコンサート
ですが、音響装置のことを何も考えていなかったのです。
昼から、西澤さんを含めたバンドのメンバーが神社に来られました。
そして・・・・今回の件でご尽力いただいていたくるみさんに
と聞かれました。
何も考えていませんでした。
くるみさんや西澤さんの顔が曇り始めました。
コンサートの裏方などしたことのない私は、この時、不用意にも
と言ってしまいました。
この一言で、くるみさんを怒らせてしまったのです。
この時は、
と内心思いましたが、後々考えてみると、事前にそこまで詰めて聞かなかったとよが悪いのであり、西澤さん側が、主催者側が用意すると思われているのは当然のことであり、くるみさんが怒られたのももっともなことだったのです。
ちょうど、すぐ近くに住む三味線の師匠さんがアンプ等を持っておられたので、急遽お借りすることになり、後はバンドのメンバーさんが用意してこらた音響設備をお借りしました。
この段取りは、すべて現場でくるみさんがしてくれました。
お陰で、なんとかコンサートまでには用意が整いました。
私は、音響のこと等全く無知であり、何をどうしたらいいのかわからず、ただ立ち尽くしているだけでした。
後からくるみさんに
とこっぴどく叱られてしまいました。
また、くるみさんも、私のせいで西澤さんにかなり叱られたそうです。
本当に申し訳ないことをしてしまいました。
でも、この時のことは、準備・段取りというのは甘く考えていてはいけないということを学んだ良い経験になりました。
そして、芸能関係者の方をお呼びするときは、専門的知識を持った方に相談しながら、きちんと企画案を作って用意する必要があると実感しました。
けれど、準備不足にもかかわらず、くるみさんの助けもありコンサートは大反響でした。
みなさん西澤さんの甘く深みのある声に聞き入っておりました。
コンサート会場で聞くのとは、また違う良さがあり、これからも神社でこういったイベントを続けていきたいと、つくづく思いました・・・・。
安くしてもらうことは結果高くつく?
これは、お祭り後の話になってしまうのですが・・・・・
このお祭りの後、西澤さんは斑鳩ホールでコンサートをされることが決まっていました。
それで、今回安いギャラで神社に来ていただいた変わりに、その時のチケット販売の一部を神社側スタッフでお手伝いさせてもうらうという約束になっていました。
西澤さんのコンサートは素晴らしいので、神社スタッフは何度も聞きに行きたいと思いましたが・・・・
神社ではお金を取らずにコンサートを開いたため、聞きに来てくださった方の多くが
「この前聞いたばかりだし、高いお金を出して、また聞きに行くというのは・・・」
「すごい良かったけど、この前お祭りで聞かせてもらったばかりだから、今回はやめとくわ」
「大和郡山でやってくれるんやったら買うけど、電車乗って行かなあかんから面倒やわ」
という返事ばかりが返って来て、チケットが全く売れなかったのです。
やはり、始まりを無償という形でやってしまうと、こういうことになるんだというのも勉強させられた点でした。
結局、このチケットを裁くことがとても神社側の負担になり、神社側でチケット代を支払ってタダで配る・・・という形になってしまったのです。
そんなことから、芸能関係者は今後はもう呼ばないことにしよう・・・となってしまったのです。
小さな町のお祭りなので、市民レベルで活動されている人のみにお手伝いしてもらおう・・・といった取り決めが私達の中でできてしまいました。
もちろん、神社に協力いただいた方がコンサートや展示会等をされる場合は、神社のブログや境内にポスターを貼りだしたりして宣伝をお手伝いはすれうけれど、その人のチケットを神社側で売ったりすることはやめようということになったのです。
玄明院の岩岸住職は、吉野山金峯山寺が世界遺産に指定された際に、イベントの開催スタッフだったそうですが、その時の経験から・・・
と言われていたのですが、結局、忠告されたとおりになってしまいました。
こうなると、間に入ってくださったくるみさんにも嫌な思いをさせることになりますし、ただ勢いでなんでもやろう!!とやってしまうことはダメだと思い知らされました。
・・・ということで、とても勉強になりました。
でも、コンサートは、本当に素晴らしかったんですよ〰
西澤さんに来てもらったことは、とてもよかったですし、皆さんにもとても喜んでもらえたので、課題はいっぱい残ったけど、大成功だったと思います。
かき氷も、みたらしも完売でしたし、夢造り鯛のみなさんの手作りおもちゃは、子供達に大好評だったし、金魚すくいは子供達のハートを鷲掴みしていましたし・・・
洞泉寺町のリーダー中川のおじちゃん
語り部である中川のおじちゃんは、本当に顔が広い方です。
おじちゃんの頼み事は、たいていの人が嫌な顔ひとつせずに引き受けてくれます。
それは・・・
それと同じくらい、今までおじちゃんが多くの人の力になって動いてこられているからです。
おじちゃんは、長く自治会長も務められていますし、本当に洞泉寺町のリーダーと呼べる存在なのです。
さらに・・・
中川さんご夫婦の知人には、伝統芸能の師匠をされている方が多く、
三味線のお師匠さん
日本舞踊のお師匠さん
お茶のお師匠さん
等もおられます。
三味線と日本舞踊のお師匠さん達が率いるメンバーは、今ではすっかり源九郎稲荷神社おかかえの伝統芸能メンバーとして、皆さんに知られるようになりましたが、いつも源九郎さんに華を添えてくださいます。
また、中川さん自身も「白狐踊保存会の会長」をされており、大和郡山に伝わる伝統芸能を大切に守られている方でもあります。
源九郎とよは警察という、芸能とは無縁の世界で生き来ただけに、源九郎さんで復興活動をするようになって、初めて伝統芸能というものに触れました。
もし、源九郎さんに携わることなく、ずっと警察の世界だけで生きていたら・・・
こんな素晴らしい物を知らないで人生を終わっていたのかと思うと、正直ぞっーとしました。
今まで、ずいぶん損をしてきた気分になりました。
今では、すっかり日本の伝統芸能の虜になってしまったとよですが、自分の中の世界がとても広がった気がします。
なので、この夕涼み会をスタートとして、機会あるごとに、源九郎稲荷神社で色んな伝統芸能を披露していていく中川のおじちゃんの感性には、頭が下がるばかりなのです。
おじちゃんは、いつも
と、ニコニコしながらおっしゃられますが、おじちゃんの凄いところは、そのおもろい事を、自分だけ楽しまずに、みんなにも楽しんでもらおうと考えるところです。
なぜなら・・・・
おもろい事をみんなにも楽しんでもらうには、お金もかかるし、用意も大変だし、すごいエネルギーを使います。
でも、いつもおじちゃんはそれを大変だとは思わず、大変なことも楽しんでしまう人なのです。
おじちゃんには、おそらく生まれ持ってきたリーダーとしての能力が備わっているのだと思います。
そして、おじちゃんが持つリーダーのタイプは、なぜか今の世の中にぴったりとハマるタイプなのです。
独裁的なところはどこにもなく、共に汗水を垂らして現場で働くという、現代人が求めるリーダーの姿をおじちゃんは兼ね備えているのです。
だから、年よりも、若者も、子供も、みんながおじちゃんの魅力に魅せられて、一緒に何かをしたいと思ってしまうのです。
とよ、自分の人生の中で、中川のおじちゃんと、おじゃんを支えるおばちゃんに出会えたことは最高の宝物だと思っています。
今も、お二人の人柄に惹かれて、どんどん人が集まって来ます。
みなさん居心地がいい神社だと言ってくださいます。
それは、神社が発する気の美しさだけでなく、お二人の発する気の美しさがあるからだと思います。
とよが、現在タイで頑張れるのは、日本で帰りを待っていてくれる母と妹、そして中川さんご夫婦がいるからです。
実のところ、神社の管理をしていくというのは、おじちゃんの言う様な「おもろい事」ばかりではありません。
おじちゃんが抱えている神社の仕事は大変な量であり、それを宮司さんに変って神事以外は全て執り行われています。
でも私は、一度たりともおじちゃんの口から愚痴を聞いたことがありません。
たぶん嫌なことも、しんどいことも沢山あると思います、でもおじちゃんの心の中は、いつも源九郎稲荷神社を、洞泉寺町を愛する気持ちで溢れているのです。
おじちゃんの姿は、自然に寄り添いながら万物の声を聴き、日々の糧を神々に感謝して暮らしていた、かつての優しい心の日本人そのものなのです。
神社を復興させるということは、すなわち、神社を通じて、みんなが、おじちゃんやおばちゃん達のような心優しい本来の日本人の姿を取り戻していくことだと思います。
なぜなら、源九郎さんを愛する人達は、みんな心優しい方ばかりだからです。
そして源九郎さんも、みなさんの愛に応えてくださる、とてもとても優しくておおらかな神様でいらっしゃいます。
多くの方が、すぐ身近な神様の存在に気づき、神様が結んでくださった縁のありがたさに気づくことができ、神様に感謝できるようになれば・・
きっと、今よりももっと、何かが変わるような気がします。
物語の続き第64話はこちら
復興活動物語の目次はこちら
源九郎稲荷神社復興活動に続く「源九郎とよのバンコクスパ経営奮闘記」
それまで勤めていた警察を辞めて、タイ、バンコクで新たな挑戦を始めることになったのです。
とよが源九郎稲荷神社復興活動チームから離れて、警察同期生だった親友の助けを得ながら異国タイで奮闘するハチャメチャな様子を綴った物語が「元女性警察官(刑事)コンピがバンコクでスパ経営物語」です。
なんとか成功してお金を貯めて源九郎稲荷神社の社務所を建て替えるのがとよの夢なのですが、新型コロナウィルスのパンデミックもあり、なかなかすんなりとはいかない状態です。
でも、夢をあきらめずにやれるところまで頑張ってみたいと思います。ご興味のある方は、そんな源九郎とよの奮闘状況をご覧ください。
元女性警察官(刑事)コンビのバンコクスパ経営物語