神武東征(古事記) 異母兄弟の陰謀と創作された8人の天皇

前回は、伊波礼毘古の命が敵を次々に討ち平らげ、邇芸速日命の帰順を得ると、畝傍の白橿原に宮殿を築き、大物主の神を父とする美少女「伊須気余理比売」を妃に迎えたお話を紹介しました。

 

皇位をめぐる陰謀

神武天皇が亡くなると、神沼河耳(カムヌマカワミミ)の命らの腹違いの兄、当芸志美美(タギシミミ)の命伊須気余理比売を自分の妻としました。

当芸志美美の命はさらに、神沼河耳の命ら異母兄弟3人を殺そうとたくらんでいました。

 

それをしった伊須気余理比売は、思い悩んだあげく、当芸志美美の命の陰謀を歌に託して御子達に知らせました。

これを聞いた御子たちは大いに驚き、すぐさま先手を打って、当芸志美美の命を殺すことに決めました。

 

神沼河耳の命のすすめに従い、まず神八井耳(カムヤイミミ)の命が武器を手に忍び込みましたが、いざというときになって手足が震えて止まらず、殺すことができませんでした。

 

そこで神沼河耳の命の出番となります。

 

神沼河耳の命は、なすすべもなく引き返してきた神八井耳の命から武器をもらい受けると、当芸志美美の命の屋敷の中に忍び込み、躊躇することなく、当芸志美美の命の息の根をとめました。

 

神沼河耳の命はこの行為を称えられ、建沼河耳(タケヌマカワミミ)の命と呼ばれるようになりました。

 

 

弟に皇位を譲る

 

このような経緯から、神八井耳の命は、

 

「わたしは敵を殺すことができなかったが、そなたはみごとにやり遂げた。

わたしは兄ではあれども、上に立つことはできない。

そなたが天皇となって、天下を治めるべきだ。

私はそなたを助けて、祭祀を司る者としてお仕えしよう」

 

と言って、行為を譲ることを宣言しました。

 

なお、日子八井の命茨田(マムタ)の連・手嶋の連の祖先で、神八井耳の命意富(おほ)の臣・雀部(サギキベ)の造、嶋田の臣らの祖先です。

 

神武天皇の享年は137歳です。

陵墓は、畝傍山の北方の白樫の尾根のあたりにあります。

 

 

業績が書かれていない天皇たち

 

権力闘争に勝利した綏靖天皇(すいぜい)が没すると、

その子供の安寧天皇(あんぜい)が即位しました。

 

さらに皇統は懿徳天皇(いとく)に受け継がれ、

以後、考昭天皇(こうしょう)、考安天皇(こうあん)、孝霊天皇(こうれい)、孝元天皇(こうげん)へと王位はわたり、

9代開花天皇に至ります。

 

古事記にとどまらず、日本書紀にもこの2代綏靖天皇から9代開化天皇までの8代について、妃の出身や御子、後続から派生した氏族、宮や陵墓の場所など、簡単な記録しか記されていないのです。

 

統治内容については語られないため、この天皇たちは「欠史八代」と呼ばれています。

 

では、なぜ具体的な治世の話が書かれていないのか?

実は、「欠史八代」は、記紀に挿入された架空の存在だとされているのです。

 

各種の発掘調査の結果もそれを裏付けており、7世紀後半の推古天皇のころの創作されたフィクションとするのが定説となっています。

史実の上で実在が確かだと考えられている初代天皇は第10代の崇神天皇で、王権の歴史を古く見せて、より権威づけるために付け加えられた「神話にすぎない」と解釈されています。