前回は、高木の神から送られた雲刀と八咫烏のおかげで、伊波礼毘古の命(後の神武天皇)の東征は順調に進みました。ところが伊波礼毘古の命をだまし討ちにしようと待ち受ける兄宇迦欺は罠をしかけます。しかし、弟宇迦欺の告発のお陰で陰謀は阻止されました。
天下の政治を取り仕切る
伊波礼毘古の命は宇陀から進んで忍坂の大室(おさかのおおむろや:大きな岩穴。奈良県桜井市忍坂のこと)に辿り着きました。
そこには尾を生やした土雲(つちくも:先住民)、八十建(やそたける:多くのどう猛な人)どもが待ちかまえ、盛んにうなり声をあげていました。
相手が意気盛んなのを見て、伊波礼毘古の命は、ここは力攻めではなく計略を施すことにしました。
御馳走を整え、八十建たちにふるまい、一人ずつに接待係をつけました。
接待係は全員刀を帯び、合図の歌を聞いたら、いっせいに斬りかかるように命じられていました。
そして、伊波礼毘古の命が合図の歌を歌いました。
「忍坂の大室に、人が大勢集まっている
どんな大勢いようとも、猛々しい久米部の兵士が
太刀や石槌でもって撃ち滅ぼしてしまうぞ
猛々しい久米部の兵士たちよ
太刀や石鎚でもって、さあ撃ちかかるのだ」
接待係は、いっせいに刀を抜いて、八十建を皆殺しにしてしまいました。
伊波礼毘古の命は、ついで登美毘古を、さらに兄師木(えしき)・弟師木(おとしき)をも打ち滅ぼしました。
伊波礼毘古の命の軍勢が連戦の疲れを歌によって癒していると、そこへ邇芸速日命(ニギハヤヒ)が現れます。
天つ神の御子が天降ったと聞いてあとを追って来たというのです。
そして、邇芸速日命は、自分が天つ神の子である証拠の品を献上し、臣従することを誓いました。
邇芸速日命は、登美毘古の妹である登美夜比売(トミヤビメ)と結婚しており、宇麻志麻遅の命(ウマシマジ)をもうけていました。
これは物部の連、穂積の臣、采女の臣らの祖先です。
このようにして荒ぶる神を服従させ、服従を拒否する者を追い払い、確固たる地盤を得ることに成功すると、伊波礼毘古の命は畝傍の白橿原に宮殿を築き、そこから天下の政治を取り仕切りました。
勢夜陀多良比売の経歴
伊波礼毘古の命(神武天皇)は東征に出る前、阿多の小橋の妹である、阿比良比売と結婚して、多芸志美美の命と岐須美美の命をもうけていました。
しかし、彼女では皇后に立てるには物足りなさを禁じえません。
そんなとき、大久米の命が耳寄りの情報を寄せてきました。
「神の御子と呼ばれる少女がいます。この少女ではどうでしょうか?」
と久米の命は言いました。
「その少女は三嶋の湟咋の娘で、名を勢夜陀多良比売と申します。
類稀なる少女で、彼女を一目見るなりすっかり魅了されたのが美和の大物主の神でした。
大物主の神は彼女が厠で大便をしているときを狙って近づきました。
赤く塗った矢に姿を変え、溝を通って流れ下り、真下に達する屋いきなり彼女の陰部をついたのです。
もちろん彼女は驚きました。
けれども、大物主の神が麗しい男に姿を変えると、落ち着きを取り戻し、素直に大物主の神を受け入れたのでございます。
こうして生まれたのが富登多多良伊須須岐比売(ハトタタライスズキヒメ)の命でして、富登(陰部)というのを嫌って、あとで比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ:以下伊須気余理比売)と改めたのです。
神武天皇と伊須気余理比売の結婚
大久米の命は折を見て、神武天皇を伊須気余理比売のいるところに案内しました。
そのとき彼女は、高佐士野というところで同年輩の少女たち6人と一緒に遊んでいました。
大久米の命が、7人のうちのどれが伊須気余理比売をを歌で示すと、神武天皇もまた歌で、彼女を妻にしたいと答えました。
大久米の命が彼女にそのことを伝えたところ、あっさり了承が得られたので、神武天皇は狭井河のほとりにある彼女の家まで出向き、そこで一夜を過ごしました。
その後、二人の間には、上から順に
日子八井(ヒコヤイ)の命
神八井耳(カムヤイミミ)の命
神沼河耳(カムヌマカワミミ)の命
の3人の子が生まれました。