さてさて、川に潜って禊祓いをしたイザナキは多くの神様を生みました。
そして、水面に出たときに、イサナギは顔を拭いました。
そして左目を洗ったときに
アマテラス
が生まれました。
次に右目を洗ったときに
月読命(つくよみのみこと)
が生まれました。
最後に鼻を洗ったときに
スサノオ
が生まれました。
この三柱の神様の誕生をいたく喜んだイサナキは、
「私は多くの神を生んだが、最後にかくも貴い三柱の子を生んだ」
と言い、これらの神を
三貴子(みはしらのうずみのみこと)
と呼んで特別に喜びました。
そして、イサナキは自分が着けていた首飾りを手に取ってゆらゆらと揺らしながらアマテラスに授け
「お前は高天原(天界)を治めなさい」
と命じました。
次にツキヨミに向って
「お前は夜の世界を治めなさい」
と命じました。
最後にスサノオに
「お前は海原を治めなさい」
と命じました。
このように父
に命じられた三柱の神はそれぞれの任地に赴くことになりました・・・・・
・・が、スサノオだけは、泣いてばかりで一向に任地に行こうとしませんでした。
この後のスサノオの話は、次の項目でご紹介しますが、このイザナギの禊祓いの儀式について、少しお話したいと思います。
禊(みそぎ)と祓い(はらい)は本来別の行事だったそうですが、記紀神話により、同一視されたと考えられています。
禊とは、
神道で自分自身の身に穢れのある時や重大な神事などに従う前、
又は最中に、自分自身の身を氷水、滝、川や海で洗い清めること
を言い、
祓とは、
神道上において犯した天津罪・国津罪などの罪や穢れ、
災厄などの不浄を心身から取り除くための神事・呪術のこと
を言います。
禊祓いとは、この両者を合わせたものとされており、
黄泉国の穢れに触れたイサナキが水で身を清めた
ことが起源とされています。
イサナキのように、水の浄化の力によって罪や穢れ、災いを祓うという宗教儀式は世界の広い地域で行われています。
たとえば、インド人がガンジス川で沐浴するのも禊と共通する宗教儀礼と考えられています。
また、日本の神社や寺院には手水舎(てみずや)を設けて、そこで手を洗い、口を漱ぐ(すすぐ)作法が一般化しています。
力士が土俵で塩を撒くのも、料理屋などで入口に盛塩をするのも、全てこの禊祓いに由来するとされています。
これらは、略式の禊祓いで、神は何よりもまず「清浄」を尊ぶとされ、穢れがある状態で神迎えをしても、神はその不浄を嫌って祭りは成立しないとされています。
したがって、神を祀るにあたっては、穢れを浄化するための「禊祓い」を行って浄めることが必要とされているのです。
さて、神の嫌う「穢れ」ですが、気枯れ、気離れ=生命力の枯渇ともいい、
神から分け与えられた生命力の衰え
を意味します。
つまり、あるべき生命力に反するような状態(病気・怪我・死)がその最たるものであり、生なるもの、正常なものを壊すという意味を持っています。
神話においては
天津罪(あまつつみ)
国津罪(くにつつみ)
が語られています。
これらもすべて、直接的・間接的に生命力を殺ぐ行為だからこそ罪と呼ばれるのです。
神社は鳥居、注連縄(しめなわ)など幾重にも渡る結界に守られています。
これは神が俗世の穢れから隔離され、清浄に保たれるべきものだから、いわば人間とは対極の神のありようが「清浄である」という状態なのです。
そして・・・神道では、
清浄が重視されてはいるものの、俗世の穢れは「祓い」によって捨て去ることができる
と考え方も、非常に大切な点です。
穢れはどうしたって存在するけれど、祓い清め浄化することで、人はいつでも神と対峙することができるのです。
しかし・・・仏教の伝来によりその考え方が大きく変わりました。
古代の日本では、罪を犯しても禊祓いで消すことができる・・・と考えられていました。
穢れはどうしたって存在するけれど、祓い清め浄化することで、人はいつでも神と対峙できるというのが神道の考えでした。
罪を重く問題にする宗教は、仏教やキリスト教であり、日本の神道はそれほど重くは問題にされなかったわけです。
ところが・・・・・
日本に仏教や道教が渡来してくると、人の罪は「業」となって残るとされるようになったのです。
この「業」は輪廻して永遠に人の不幸を作り、これから脱出するには、出家して六道輪廻の煩悩を解脱しなければならない、とされるのです。
つまり、仏教では、その罪が後世(死後世界)において裁かれるだけでなく、その懲罰として永遠の苦しみを味わうことになると説いているのです。
仏教では犯した罪は永劫に消えることはなく、ただ仏の加護によらなければ罪、業は消滅しないとされたのです。
当時の支配者達は、恐怖のドン底に突き落とされ、「これは大変だ!!」とあわて悩み、死後世界への保障を仏に求めるようになります。
藤原氏などは宇治に平等院を建て、阿弥陀如来の救いを求めました。
また、貴族達は、如来に仕える
護法の神将
に政敵の降伏を祈り、その政敵に「仏敵」の汚名を着せ、自分は仏教の下護者だから「正義の征討軍」を派遣できるのだとしました。
そうした論法は、その後、全国各地の武将達に用いられていくこととなります。
水では流せなくなってしまった人々の罪科・・・
日本人の罪に対する精神意識の変化と歴史は、知れば知るほどおもしろいのですが、古事記の話からは視点がずれていくので、余談はこの程度で終わっておきます。
次回からは、古事記の一人目の主人公である「スサノオ」の話へと移っていきます。