三貴子の誕生(古事記) イザナキの禊祓いと神々達の誕生

黄泉国から戻ってきたイザナキは、自分の体が穢れたことを憂いて川の水で体を洗います。

 

イザナギの黄泉の国での物語はこちら↓

川の水で体を洗うというのが、現在の神社でも行われる「禊祓い」の始まりです。

 

 

日本人は葬式から帰ってきたとき、玄関の前で体中に塩を振ります。

これも禊祓いを簡略化したものです。

死者に触れて受けた穢れを、塩で清めているわけです。

 

 

古事記では、この禊祓いをしたときに、次々と神々が生まれたことが記されています。

 

今日は、イサナキの禊祓いの様子と次々と生まれた神様についてお話します。

 

 

黄泉国から無事に生還したイザナキは、

「私はなんとも言い難い、穢らわしい国に行ってしまった。まずはどこか水辺に行って身を清めなければならない!!」

と言って、

筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あわぎはら)~空想上の地~

というところの川に行きました。

 

 

手にしていた杖を投げ捨て、帯、袋、衣、袴、冠、左手の腕飾り、

右手の腕飾りを取ると、次々と傍らに投げ捨て、裸になって水に入る準備をしました。

 

このとき、投げ捨てた衣服や装飾具から次々と神が生まれました。

 

杖から生まれた船戸神(ふなどのかみ)

袴から生まれた道俣神(みちまたのかみ)

 

など、合わせて12柱の神が生まれました。

 

 

準備を整えたイザナキは、川辺に立って見渡して

「上流は流れが速い。下流は流れがおそい」

と言い、川の中流から水中に入りました。

 

 

そして、身の穢れを洗い清めはじめたときに

 

八十禍津日神(やそまがつひのかみ)

大禍津日神(おおまがつひのかみ)

 

という二柱の神が生まれました。

 

これら二柱の神は、

黄泉国で触れた穢れから生じた悪しき神

でした。

 

 

そこでイザナキは、その「禍(わざわい)」、すなわち黄泉刻で遭遇いしたさまざまな厄をはらおうとしました。

 

そのとき、

 

神直毘神(かむなおびのかみ)

大直毘神(おおなおびのかみ)

伊豆能売(いずのめ)

 

という三柱の神が生まれました。

 

 

この三柱の神は

災い(穢れ)を、それぞれ被る前の状態に改めなおしてくれる神

でした。

 

三柱の神によって穢れを祓ったイザナキは、思い切って川の底に潜って身を清めました。

 

 

そのとき、川の底で

底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)

が生まれて、続いて

底筒之男命(そこつつのおのみこと)

が生まれました。

 

 

次に、水中の中ほどで身を清めたときには

 

中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)

中筒之男命(なかつつのおのみこと)

 

が生まれました。

 

 

さらに水面付近で身を清めると

 

表津綿津見神(うわつわたつみのかみ)

表筒之男命(うわつつのおのみこと)

 

が相次いで生まれました。

 

 

これら六柱の神はみな海を守護する神で、

 

底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)

中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)

表津綿津見神(うわつわたつみのかみ)

 

の三柱の神は

阿曇連(あずむのむらじ)

という、

福岡県の志賀島を本拠とした海人系の豪族

の祖先となりました。

 

 

底筒之男命(そこつつのおのみこと)

中筒之男命(なかつつのおのみこと)

表筒之男命(うわつつのおのみこと)

 

の三柱の神は

墨江(すみのえ)

という大阪市住吉区の住吉神社

の三柱となりました。

 

 

そしてその後、これからの古事記の主人公となる次代を担う神様が生まれることとなるのです。