黄泉の国(古事記) 黄泉の国の食べものとは?

さて、

数々の国生みを一緒にしてきたイザナイとイザナミの夫婦神ですが、イザナミは火の神を生んで亡くなってしまいました。

 

前回までのお話はこちら↓

そして、妻の死にイザナキはひどく悲しみ、その死の原因となった

カグツチの首を剣ではねると、死者のいる黄泉の国へと向かいました。

 

 

黄泉の国の御殿の前でイザナキは、イザナミに向かって

「一緒に帰ろう」

と呼びかけました。

 

ところが、イザナミは

「黄泉の国の食事をしてしまったので帰れない」

と言いました。

 

 

このイザナミが口にした黄泉の国の食事ですが、「古事記」では

黄泉戸喫(よもつひぐい)

と呼びます。

 

 

黄泉戸喫をすると帰れないというのは、

土地の食べ物を食べることが、そこに存在する者になる

ことを示すと考えているかだといえます。

 

 

いまも死者の枕元に飯を炊いて供える風習がありますが、飯に端を立てるなど生活に出す飯とは違うようにすることが多いとようです。

 

 

そういえば、子供の頃、ご飯にお箸を立てて妹と遊んでいたら、

母親に「ご飯にお箸を立てるのは死んだ人のご飯だからしてはいけません」と叱られたことを思い出します。

 

生きている人間が同じことをするのはよくないのだとされているのです。

 

 

それは、この飯が、死者の世界の食事だからであり、

枕飯の風習は、黄泉戸喫と同じ発想から生まれたのかもしれませんね。

 

 

古くから、同じ窯で煮炊きしたものを食べることによって、

より親密な関係になるという思想があったことを示すものとも言われており、

これと同じ思想に基づくものに祭りのときの

直会(なおらい)

という行事があります。

 

 

これは基本的に

神前に供えた食べ物(神饌)のお下がりを祭りに関わった氏子などがともに食べる行事

をことを指します。

 

 

これを民俗学の言葉で

神人共食(しんじんきょうしょく)

というそうです。

 

これは、つまり

神と人とが同じものを食べることによって、親密な関係になった神の加護を願い、

一方、氏子たちも同じものを食べることで強固なアイデンティティを確認する

というものです。

 

 

また、最近ではあまり言わなくなりましたが

同じ釜の飯を食った神

などというのも同じ思考から来たものだそうです。

 

次回は、黄泉の国の入口はどこかについての諸説ついてご紹介したいと思います。