ずっとずっと昔のことです。
大和に
源九郎狐という狐
が住んでいました。
狐は霊狐になると三百年生きるそうですが、この狐は霊狐以上の地位を授かっておりましたので千年ほどの歳月を大和から河内一帯の狐の象徴として生き続けてきたそうです。
それ故にこの狐は、
天地に存在するあらゆる神々や言葉を持たない総ての生物と、人間の間を橋渡しする役目を背負っていた
ので、村人達は、神と崇めるほどの畏敬を持って大切にしておりました(これは、今でも同じですね)
その上にこの源九郎狐は、神仏人間天地あらゆるものの加護のもとで生きてきた狐だったそうですが、源九郎狐もよる歳にはかなわなかったのか、ドンドン体力が落ちてきて、大和の寒い冬は骨身に浸みて一層の体力を弱めました。
しかしさすがに源九郎狐はそうした弱みをどこにも見せず、神から呼ばれれば神のもとへ、人から呼ばれれば人のもとへと四方八方に即座に姿を見せて、神仏や言葉を持たないもの達と人間の間の橋渡しをしていたそうです。
それ故に
「本来は狐であるから歳は重さなり、体力が弱る」
という当たり前の事を神仏も人間も気づく事を忘れていたそうです。
こうした歳月を送っていたある年のこと、例年になく底冷えの
する寒い年のことです・・・・
源九郎狐は自分の衰えを隠す力も無くなっていることに気づくと
「このままではまわりに迷惑をかけるにちがいない。大和の人間達の話によると堺にはいかなる病気も、怪我もたちどころに癒してくれる塩湯なるものがあると聞く。人間に効くなら狐にも効くにちがいないと思い、出掛けてためしてみよう」
と決心して堺の塩湯へと向かいました。
源九郎狐は、大和へまで聞こえる塩湯へ着くと、異国へつながる堺の海は遠浅に広がり、
一度入れば一年、二度はいれば二年の寿命が伸びるほどの気持ちの良さと、骨身を含めて五臓六腑にしみこむ心地よさ
に、すっかりと気に入り、この地での養生することを決めました。
ところが、やはり年には勝てず、日を増すごとにどこかしっくりといかない体の不調を感じるようになりました。
そこで源九郎狐は
「考えてみれば、大和育ちのこの身体には、潮風のある生活は初めての経験で、老齢になってからの新しい環境が身体の不調となったにちがいない」
と思い、再びじっくりと考えて、
「そうだ和泉へ行こう。和泉は「しりぶか樫」の群生地で、その樫の木はこの土地より南には存在せず、和泉が北限の地と聞く。それならば暑くもなく寒くもなくきっと大和育ちの身には住み心地よい所であろう」
と考えました。
そこで早速に身支度をして和泉へと向かったのです・・・・
さてさて・・・
和泉の国へと向った年老いた源九郎狐ですが・・・・・
幸い堺と和泉は近い距離であったものの、和泉に着くとさすが老年の身体、疲れて立っているのもやっとの状態でした。
源九郎狐は、一軒の農家を見つけてそこで休むことにしたそうです。
「ごめんください」
と台所からはいると、誰もいません。
家の主を捜しましたがどこにも居ません。
くたびれた身体をどこか休める所はないかと見回すと、ご飯を薪で焚く「くど」(かまど)がありました。
「くど」へ身体を寄せ付けると、ちょうど薪は取り除かれ残った灰はポカポカと温かいではありませんか。
源九郎狐はポカポカの「くど」の中へはいると疲れのためにすぐに、ぐっすりと寝てしまったそうです。
ところが・・・・
そこへこの家の主人が帰ってきて、源九郎狐がくどの中で寝ていることをしらない家主は、その「くど」に薪を入れご飯を炊いてしまったのです。
炊いたご飯があまりにおいしいので、どうしたのかとくどの中を見てみると・・・・
「わっ~!!これはなんだ!!」
驚いたことに一匹の狐の焼死体がありました。
仕方がないので、主人は家の前にある畑に死体をうめたそうです。
ところが・・・・
この事があってから、この家からは何かと不幸が続くようになったそうです。
あまりにも続く不幸な出来事に、主人は不思議に思って霊媒者にみてもらいました。
すると、
「焼死体は源九郎狐であったこと。これからは毎年田畑に狐の餌をまくこと。狐の不満を聞き狐と人間が仲良く暮らせるようにする事などを源九郎が語っている」
とのお告げが下ったのです。
早速主人は狐の好きな「いなりずし」をつくりそれに白飯、赤飯、醤油飯などのおにぎりを作って村落の田畑へ供えて配ったそうです。
それからというもの、不幸な出来事はぴたりと無くなり、幸せが続くようになりました。
そんなことから、寒い「寒」の前後になると、あちらこちらで狐の施行がなされるようになったそうです。