オオアナムチ(大国主命の別名)に助けられて稲羽の白兎は、
「八十神は決してヤガミヒメを射止めることはできません。今は大きな袋を担いで下働きをなさっていますが、あなた様こそがヤガミヒメを娶るのにふさわしい方です」
と予言しました。
さてさて、白兎の予言どおり・・・
ヤガミヒメは八十神たちのプロポーズをことごとく断り
「私は、あなたたちの言うことは聞きたくありません。私はオオナムチと結婚します。」
と言い張りました。
それを聞いた、兄弟にあたる八十神は怒って、オオナムチを恨み殺すことにしました。
伯耆の国の手間の山(島根県西伯郡南部町にある山)の麓についたところで、大勢の神はオオアナムチに
「我々がこの山にいる赤い猪を追いかけて降りるから、お前は待ち受けて捕まえろ。そうしなければ、きっとお前を殺すぞ」
と言って、猪に似た大きな石を火で焼いて転がしました。
オオナムチがそれを猪だと思って捕まえると、焼き付けられて死んでしまいました。
母神サシクニワカヒメがそれを泣き悲しんで天(高天原のこと)に上がり、
カムムスヒに頼むと、キサカイヒメ(赤貝の女神)とウムカイヒメ(蛤の女神)を遣わしました。
キサカイヒメがオオアナムチの体を石からこそげ取って集め
ウムカイヒメが受け取って、母神の乳を塗ると
オオアナムチは立派な青年になりました。
それを見た大勢の神は、またオオナムチをだまして山に連れて入りました。
大きな木を切り倒して楔を打ち込み、その割れ目にオオアナムチを入れて、楔を抜いて打ち殺しました。
するとまた母神サシクニワカヒメが泣きながら見つけ
その木を抜いて、オオナムチを取り出して生き返らせました。
さて・・・
ここで、オオナムチが八十神に殺されることの意味はなんなのか?
ですが
八十神の迫害および根の堅州国の逸話は
課題婚型
と呼ばれる神話の形式であり、世界各地に見られます。
オオナムチが死んで母親の力によって蘇生するという話は
フィンランドの叙事詩「カレワラ」
と非常に酷似しているとの指摘があります。
そして、何度も殺される意味ですが、これは
成人通過儀礼
を表すものだという説があり、オオアナムチが大人になり大国主命と名乗るようになるための通過儀礼だというのです。
また、なぜ母神は高天原の天神であるカムムスヒに助けを求めたのでしょうか?
さらに、カムムスヒが遣わした神はなぜ赤貝と蛤の神なのでしょうか?
これは、地方豪族の最高神が、天神の派遣した神によって救われるという構図であり
天皇家の恩恵を地方豪族に知らしめるために用意されたエピソードだとされています
そして、遣わされた神様が赤貝と蛤の女神であったことは
当時は、赤貝の殻の粉を蛤汁で溶いて火傷に湿布して治療していたからであり
母神が乳を塗ったのは、石灰乳に通じるものがあり
火傷に対し妥当な治療法であることが示されています
古事記の面白さはこの「なぜ?」が、神話の中にいくつもあることのような気がします。
当時の、政治的な背景が意図的に刷り込まれていたりして、私が古事記大好きなのはそんなおもしろさがあるからだと思います。
さて・・・何度も殺されたオオアナムチはこの後、どうなるのでしょうか?