大和郡山の鎮守にならないかと大納言豊臣秀長に薦められた源九郎狐は、それを承諾し、大和郡山城内に稲荷社として祀られることになりました。
・・・・ところが・・・
秀長の家来衆が
「畜生の言いなりになっていいものか!!」
と騒ぎ出しました・・・
中には
狐に化かされた!!
というものまで出てきました・・
大納言秀長からそのことを聞いた源九郎狐は
「なるほど、私は野狐であり、白狐の姿で家来衆の前に出ては、殿の武威を汚してしまいます。ならば、神通力を現して、家来衆に壇ノ浦の合戦をお目にかけることにします」
と言いました。
「よかろう、それはおもしろい」
と大納言秀長も賛成し、源九郎狐は、自分の力を示すために、新年の拝賀の席上で、壇ノ浦の合戦を実演することになったのです。
そして、家来衆の前で繰り広げられる壇ノ浦の合戦・・
それは、血なまぐさい凄惨なる光景の連続でした。
この刹那の光景に立ち上がった家来の中には、吾を忘れて抜刀し、現場に切り込む者、槍を抜いて突いて出るものも出ました。
やがて夢から覚めた家来衆・・
源九郎狐の神通力にすっかりと慄き、誰もが源九郎稲荷大明神を大和郡山の鎮守として崇め奉りました。
ところが、とうの源九郎狐がカンカンになって、城内に乗り込んできました。
源九郎狐が神通力で見せた壇ノ浦の合戦が、あまりにも刹那な光景であったことから家来衆が射た矢が、応援に来てくれていた平岡稲荷の背中を射抜いてしまったのです。
大納言秀長は、
「お前が神通力で見せた壇ノ浦の合戦があまりにもすごかったので、家来が本物と見間違い矢を射てしまったのだ。
それは、お前の力がすごすきたということだ。
平岡稲荷には申し訳ないが、どうかこらえてくれ」
と言いました。
そして、お詫びとして、源九郎稲荷社のために
石の鳥居
を寄付したそうです。
そんなことから、城内で源平合戦を神通力によって実演した源九郎狐の力は、すべての家来衆に認められ、源九郎稲荷大明神とそのお使いの源九郎狐は、厚く城内で祀られることとなり、その後、大和郡山の鎮守として、数々のピンチに活躍することとなるのです。
次は、源九郎稲荷が鎮守として大和郡山を約束どおり守り通した伝説をお話します。