源九郎稲荷神社とは(奈良県大和郡山市)|由緒・伝説・復興の記録
源九郎稲荷神社の由緒
源九郎稲荷神社は、奈良県に鎮座する小さな稲荷神社です。
一般的な観光神社とは異なり、長い年月の中で地域の記憶から薄れ、一時は荒廃した状態にありました。
しかし、この神社には「源九郎狐」という存在を軸とした、他にはない物語と歴史が残されています。
■ 高徳の僧・宝譽上人との出会い
大和郡山城主となった 大納言・豊臣秀長 は、郡山の地を治めるうえで
「自らと郡山藩を守護する神を迎えたい」と強く願っていました。
当初は、桜井の 談山神社 の神様を鎮守として城に招きましたが、どういうわけか相性が合わず
ついには神様が桜井の山へお戻りになってしまったと伝えられています。
そんな折、秀長は 大和長安寺村に宝譽上人(ほうよしょうにん) という高い徳をもつ僧がいると聞きつけ
城へ招いて説法を聞きました。
その教えに深く感銘を受けた秀長は、上人に帰依し、自身が探し求めている “守護神” の相談をします。
■ 夢枕に現れた「源九郎」を名乗る白髪の老人
相談を受けたその夜、宝譽上人の夢枕に白髪の老人が現れ、
「私は源九郎。
郡山の南に御堂を建て、茶枳尼天(だきにてん)を祀れば、あなたと郡山藩の守護神となろう。」
と告げたといいます。
上人はこのお告げを秀長に伝え、秀長は大いに喜び、すぐさま御堂を建立しました。(現在の 洞泉寺町 にあたります)
■ 洞泉寺の創建と源九郎茶枳尼天の安置
宝譽上人は、三河・挙母郡山霞渓山洞泉寺の寺号を移し、新たな御堂を 洞泉寺 としました。
さらに、自ら 源九郎茶枳尼天像 を彫り、境内の祠堂に安置して日夜勤行を続けたと伝えられています。
並行して郡山城内には 竜雲郭(りゅううんかく) が建てられ、享保4年(1719年)には 源九郎大明神 が厚く祀られました。
■ 現在地への遷座と社殿の完成
その後、御神体は現在地へ遷座し、大正14年(1925年) に現在の社殿が完成しました。
隣接する洞泉寺には、宝譽上人が刻んだと伝えられる源九郎茶枳尼天像 が今も安置されており
源九郎稲荷信仰の重要な歴史を静かに伝え続けています。
源九郎狐と源義経の伝承
源九郎狐とは、源義経(幼名・源九郎)に深く関わる存在として語られてきた狐の伝承です。
能や歌舞伎『義経千本桜』にも登場するこの物語は、単なる創作ではなく
古くから人々の信仰や想像力の中で受け継がれてきました。
源九郎稲荷神社は、そうした物語世界と現実の土地が重なり合う場所でもあります。
長く忘れられていた神社
時代の流れと共に、源九郎稲荷神社は参拝者を失い
社殿や境内も手入れが行き届かない状態が続いていました。
地元でも「昔はあった神社」として語られる存在となり、明確な復興計画や支援体制もないまま年月が過ぎていきます。
復興活動のはじまり
こうした状況の中、個人の強い想いと行動をきっかけに、源九郎稲荷神社の復興活動が始まりました。
清掃、記録、写真撮影、関係者への聞き取りなど、できることを一つずつ積み重ねながら、
神社の存在と歴史を再び可視化していったのです。
このサイトについて
当サイトは、源九郎稲荷神社の復興活動に実際に関わった立場から
当時の記録・写真・経緯を一次資料としてまとめた記録サイトです。
事実に基づき、時系列で整理することを目的としています。