スサノオのもとから逃れたオオナムチは、大国主命と名乗り、出雲の国造りをすることとなるのですが、ここで少し話を戻してみます。
大国主命の兄達である八十神は、なぜ因幡(稲羽)の国のヤガミヒメを娶りにいったのでしょうか?
因幡は現在の鳥取市周辺で出雲からは遠く、伯耆の国を通り越していかないといけません。
おそらく当時、すでに伯耆の国は出雲王朝の支配下にあったと思われます。
とすれば、出雲王朝が伯耆の次に狙うのは、因幡の国です。
その因幡のヤガミヒメと結婚するということは、因幡の国を出雲王朝の支配下に置くことを意味し
ヤガミヒメを娶った王子は、王朝で優位な立場に立てることになるのです。
それゆえ、八十神たちは、必死になって因幡参りをしました。
ところが・・・
ヤガミヒメが婿に選んだのは、その中でも最も身分の低いオオナムチ、すなわち大国主命だったのです。
この後、オオナムチは数々の試練を受けながらも、出雲王朝の始祖であるスサノオに認められ
スサノオの娘のスセリヒビメを正妻としました。
そうなると・・・
因幡のヤガミヒメの立場がなくなります。
古事記では
ヤガミヒメはスセリヒビメを恐れ、結局自分の生んだ子を木の俣に刺し込んだままにして、因幡の国に帰ってしまった
と書かれています。
この生まれた神の名を
木俣神または御井神
といいます。
島根県簸川郡斐川町に
御井(みい)神社
には、ヤガミヒメが生んだ子である木の俣神が産湯を浸かったという
三つの井戸、「生井(いくい)」「福井(さくい)」「綱長井(つながい)」
が残っています。
この井戸は安産と子育ての水神として今も信仰を集めています。
さて、大国主命ですが、この後八十神たちを征伐して、めでたく出雲という大国の王になります。
しかし、彼は出雲だけでは満足せずに越の国を征服に行くのですが
そこでもまた、美しい女神と恋に落ちることとなるのです・・・・
恋多き大国主命さま・・・
ヤガミヒメが子供を置いて逃げだすくらいなので
きっと正妻のスセリヒビメは、とても嫉妬深い神様だったと思われます。
果たして、二人の夫婦仲は大丈夫だったのでしょうかねぇ?