八岐大蛇神話(古事記) 八岐大蛇の正体とは?

八岐大蛇

8つの谷と8つの峰にお呼び巨大な体を持ち、その身体からはヒノキや杉が生えてツタが生い茂っている・・・

 

これが古事記に登場する八岐大蛇の描写です。

 

この描写から想像するのは

斐伊川上流の船通山と、山から水を集めて斐伊川に注ぐ幾筋もの沢ではないでしょうか?

 

 

八岐大蛇は、

この斐伊川と船通山一帯を守る水神としての蛇神を象徴したもの

だと言われています。

 

 

また、オロチの血が肥河を赤く染めた・・というのは、

この一帯が、古くから砂鉄を多く産出し、鉄分によって川の石が赤く錆びていたこと

に基づいています。

 

 

オロチの腹が赤くただれているというのも、同じ理由からだろうと思われます。

 

 

さらに、オロチの目がホオズキのように赤いのは、

鉄を融解する高炉が赤く焼ける様子を表したもの

とも言われています。

 

この辺りでは、古くから製鉄が行われていたのです。

 

 

そして、最後にオロチの尾から剣があらわれるという描写ですが、これは製鉄で栄えた出雲が、大和朝廷が制定される前の日本の中心的地域だったことを象徴しています。

 

近年、斐伊川一帯では多くの鉄剣が発掘されています。

産鉄地のこの地域では、当時、まだ銅製の剣が主流だった時代に、いち早く鉄の剣を作っていたのです。

 

 

このような文化水準の高さが出雲を支え、大和朝廷を凌ぐ勢力を誇る原動力の1つになっていました。

出雲とヤマトの複雑な関係の序章が、スサノオによるこの八岐大蛇退治なのです。

 

そして、この後、記紀神話で出雲の大国主命が国神の最高権力者として記され、物語は出雲を舞台に、出雲を中心に進んで行きます。

 

 

弥生時代後期・・・鉄の流通ルートは出雲が独占していました。

 

なぜなら関門海峡が閉鎖され、北九州から瀬戸内を通るルートがなくなり、鉄の流通ルートは日本海沿岸へと移転したからです。

 

このことについては、最近の考古学の発見から、色んなことがわかってきています。

 

同時に、記紀に隠された本当の歴史が、この考古学的発見により徐々に明らかになってきています。

 

 

さて、これから先の古事記の物語の中心は出雲になります。

大国主の国づくりから国譲りへと続く物語の中には、たくさんの謎が潜んでいます。

 

ヤマトと出雲の複雑な関係を、最近の考古学的発見もからめながら、紹介していきたいと思います。