八岐大蛇神話(古事記) スーパーヒーロー・スサノオのその後

八岐大蛇を退治したスサノオは、クシナダヒメとめでたく結婚し、須賀の地に宮殿を建て住処としました。

 

さて、このスサノオですが、その後はどういう生活を送られたのでしょうか?

 

 

スサノオとクシナダヒメが暮らしたという伝承地は、この須佐の他にもあります。

 

その1つが松江市佐草町にある

八重垣神社(やえがきじんじゃ)

です。

 

社伝によりますと

「スサノオが八岐大蛇を退治する際、肥の河から七里を離れた佐草女(さくさめ)の森を安全な場所と選び、大杉を中心に八重垣を作ってクシナダヒメを隠した。オロチを退治した後、両親の許しを得て、『いざさらば、いざさらば、連れて帰らむ佐草の郷に』と、出雲神楽にもあるとおり、佐草の地に宮造りして縁結びをした」

とされています。

 

八重垣神社の駐車場裏の奥に、大杉が立ち並ぶ神秘的な森があります。

この森がクシナダヒメを隠した森

だそうです。

 

 

また、スサノオとクシナダヒメは日本で初めて結婚式を挙げた夫婦ともされています。

森の横には結婚式場もありました。

 

 

こうして、結婚式を挙げたスサノオとクシナダヒメは、多くの

ヤシマジヌミ(多くの島を治める神)

を生みました。

 

 

その子孫の

アメノフユキヌ(衣類を讃える神

が、

サシクニワカヒメ(サシクニオオという国土の所有権を主張する神の娘)

を妻にして生んだ子が、今後の物語に登場してくる

大国主命(おおくにぬしのみこと)

になるとされています。

(オオクニヌシの出処については諸説あり)

 

 

多くの神を生んだスサノオは、その後

根の堅州国(ねのかたすくに)

へと去りました。

 

 

さて、このスサノオですが、性格がすごく多面的だと思いませんか?

 

イザナギの禊から三貴子の一神としてアマテラス、ツクヨミと一緒に生まれ

父イザナギから大海原を治めなさいと命令を受けたにもかかわらず

母イザナミのいる根の国へ行きたいと言って泣き叫ぶ子供のような一面があるかと思えば・・・

 

高天原では凶暴な一面を見せ、姉アマテラスを怒らせ、追放される乱暴者であるかと思えば・・・

 

出雲へ降りると一転して

八岐大蛇を退治する英雄的な性格

となります。

 

そして、その後は新妻クシナダヒメに和歌を詠む

文化的な性格

を見せます。

 

とても、とても同じ人物とは思えません。

 

 

また「日本書記」の一書では、高天原を追放されたスサノオは、御子神の

イソタケル

と共に新羅に天下り、それから船で出雲へやってきたとされています。

 

 

このときにイソタケルは新羅から

たくさんの樹種

をもってきて、それを紀伊国など各地に撒いたとされています。

 

 

スサノオ自身も

髭・胸毛などの体毛を抜き取って杉やヒノキの樹木に変えている

ことが描かれており、ここでは

朝鮮半島との関係や増殖神としての性格

もみられるのです。

 

 

一方、「出雲風土記」の中のスサノオは、「記紀」とは一変し素朴で平和な神として描かれています。

 

まず、安来郷では、スサノオがここにきて心が落ち着いたといったので安来という地名がついたと記されています。

 

 

次に飯石郡の須佐郷には、この地の名に自分の名前をつけようといって鎮座したとあり、

大原郡の佐世郷では、佐世の木の葉を頭に挿して踊ったと伝え、

御室山では、スサノオが三室を作ったと記しており、

地名の制定などが書かれています。

 

そして八岐大蛇退治の神話は記載されていません。

 

 

「記紀」の強烈なスサノオのイメージとはまったく異なっていると思いませんか?

なんか、素朴な田舎の神様って感じでしょ!

 

 

これらの複数の性格をあわせもつ説としては、

 

・多数の神が習合してスサノオという神が創造されたためとする説

・スサノオが成長するにつれて見せる側面であるとする説

 

等があります。

 

 

とても、とても複雑で謎の多い神様とされています。

 

 

そんなスサノオは、今では全国各地の神社に妻のクシナダヒメとともに祀られています。

 

その中でも京都の

八坂神社

では、スサノオとインドの神様で三尺の牛の頭と赤い角を持つという

牛頭天王(ごずてんのう)

を同じ神様として祀っています。

 

 

スサノオも牛頭天王もパワフルで男性的な守護神であり、

水難・火難・病難

を鎮める力があるとされています。

 

 

また、八坂神社では、クシナダヒメとの夫婦仲にちなんで縁結びにも御利益があるとか・・・・

 

 

スサノオ行った仏教の聖地である

インドの祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神

または、牛頭天王(ごずてんのう)と同一神とされています。

「天王さま」と一般的に親しみを込められてよばれているのは、牛頭天王のことで、

釈迦が説法を行った新羅の牛頭山の神ともいわれる疫病除けの神様のことなのです。

 

 

牛頭天王に対する信仰を

祇園信仰

といいます。

 

 

この牛頭天王は

牛の頭をもつ恐ろしいインドの土着の神

でありました。

 

仏教に帰依したことにより、

疫病を鎮めて人々を守る神

になったとされています。

 

 

この神様は、古くから

スサノオと同一神

と考えられてきました。

 

 

その結びつきについては

「備後国風土記」(びんごのくにふどき)逸文の蘇民将来(そみんしょうらい)の伝承

に、次のような由来譚があります。

 

昔、昔・・・・貧乏な蘇民将来と裕福な巨旦将来(こたんしょうらい)という兄弟のところに、旅の途中の汚れた身なりの牛頭天王がやって来て、泊めてほしいと頼みました。

けちな弟は冷たく追い払いましたが、兄の蘇民将来は温かく迎えて手厚くもてなしました。

何年か後、再び訪れた牛頭天王は、兄の蘇民将来に子孫代々疫病にかからないための茅の輪(疫病除けの呪符)を授けました。

そのとき牛頭天王は「われはスサノオ尊なり」と名乗りました。

 

このことから、6月と12月の末には、各地の神社で

大きな茅の輪(ちのわ)

をくぐって厄除けをする習俗が作られたのです。

 

 

一般的な説では、

スサノオ尊も牛頭天王もどちらも大変な荒ぶる神

という点が共通しているところが両者を結びつけた大きな要因とされています。

 

 

牛頭天王は

疫病除けの神様

ですが、神話の中のスサノオにも

疫病を祓う神様的な性格

が見られます。

 

 

高天原を追放されるときに

長い髭や手足の爪を切られる

のを覚えてますか?

 

これは穢れを落とす禊払い(みそぎばらい)と同じよな意味を持つ

一種の悪霊払いの儀式

であると考えられています。

 

 

そんなことから、こうした古代社会で重視された魔除けの呪法を体現する存在であったことから

スサノオ尊が疫病除けの守護神として信仰されるようになったようです。

 

 

スサノオを祭神とする神社は、明治まで牛頭天王社と呼ばれていたところが多く、京都の

八坂神社

なども、牛頭天王を祀ることから、古くは

祇園天神、祇園社

とも呼ばれていたそうです。