古事記は、最後にイザナキとイザナミが言葉を交わした黄泉比良坂を、今の出雲の伊賦夜坂(いふやさか)だと言っています。
では、この伊賦夜坂はどこにあるのでしょうか?
電車だと
JR山陰本線揖屋駅(いやえき)から徒歩10分
車だと
国道9号線から揖屋への旧道を2キロメートルほど入って行く
と・・・・・左手にこんもりとした森があります。
そしてこの森の中には古い神社があります。
この神社が揖屋神社であり、この神社の周辺が伊賦夜坂だとされているのです。
神社は今も「いふや」と読み、古書には
言屋神社(いふや神社)
伊布夜神社(いふや神社)
とも載せられ、死とか幽界に関係の深い社だと言われています。
出雲といえば、よく耳にするのが
暗い、重い、幽界、裏のイメージがある
というものですが、実際には、とても清々しいすばらしい地です
これは、中央集権をめざす大和朝廷が、高天原の太陽に対する月の国、陽と陰の関係で設定したため、
そのイメージがずっと伝わってきているからだと言われています。
出雲は古くから鉄文化を持つ国としてかなりの力を保持していたことが考古学の発見で証明されていますが
そのため大和朝廷は、出雲を無視できない存在としていたことが伺えます。
古事記では、黄泉国への入り口を出雲の東部としています。
しかし、「出雲風土記」では、また違った伝承が見られます。
それは、出雲の西北部にあたる出雲郡の条に、
宇賀郷(うがきょう)の北の海辺に脳磯(なづきのいそ)とよばれているところがあり、その磯の西方に窟(いわや)があると記されています。
この窟の穴は人が入ることが出来ず、そのため深さがどれくらいかわからないといいます。
そして窟のあたり行った夢を見るとその人は必ず死ぬというのです。
そこで昔から人々は、この窟を黄泉坂とか黄泉穴とか呼んでいると
と伝えています。
つまり「出雲風土記」では黄泉国への入り口を
出雲の西北部(猪目洞窟)
としているのです。
いずれにしても、出雲が死者の国への連絡口になっているのですが、
この点については、古代人は西方の方角に死者の国があると考えており、
大和からみて西北の出雲がそれにあてはまると考えられていたのではないかと言われています。
では、同じ出雲でも、東部と西部とに死者の国の入り口があることに関しては、定説といえるまでの考えはまだ出ていないそうです。
「古事記」からの視点(つまり大和からの視点)では、
出雲が死者の国ということになるのだから、
出雲の入り口である東部地方はに死者の国の入り口があるとしたのは当然かもしれません。
それに対して、出雲で作られた「出雲風土記」から(地元)見れば、
死者の国を西方と考える当時の視点からすると出雲の北西部となるのかもしれませんね。
古事記では、イザナギは黄泉国を巨大な岩で塞ぎ、イザナミに夫婦の別れ建絶妻之誓(ことどわたす)を言い渡します。
揖屋神社の近くには、イザナギが塞いだという大きな岩が残されています。
黄泉比良坂~黄泉の国への入り口
と書かれた看板の通りに進みます。
国道9号線の看板から数キロ山に入ると、小さな公園が整備されています。
そこには、
黄泉比良坂比定地の石碑
が立っています。
そして、その奥には大きな岩があります。
この岩の奥に黄泉比良坂が通じている・・・・
私は、この地を訪れたことがありますが、
う~ん・・・想像力が乏しいのかピンときませんでした。
どちらかというと、出雲風土記に記された黄泉国の入り口である
猪目洞窟
の方が、想像力をかきたてられました!
猪目洞窟は、
昭和23年に漁船の船置き場として拡張工事をした際、堆積土を取り除いたときに発見された洞窟
で、その堆積土から遺物が発見されました。
弥生時代から古墳時代にかけての人骨が十数体。
腕には貝和がはめられ、稲籾入りの須恵器などの副葬品が埋められていたそうです。
また古代の生活が分かる木器、貝類、獣骨、灰なども見つかっています。
その遺物は現在出雲市大社町の公民館に保管されています。
1700年前の女性の白骨が状態よく残っているらしいです。
洞窟は幅30m、奥行きは30mです。
奥へ行くと天井が低くなっていきます。
今は船着場になっていて、洞窟の中には小さな祠がポツンとあります。
表から、洞窟の中を覗くだけでも
ゾッ~
として怖くなりました。
何か恐ろしいものに憑りつかれそうな恐怖心を覚えて、すぐに退散しました。
まさしく黄泉の国への入り口という感じがしました。
そのせいか、洞窟の奥には本当に黄泉比良坂が通じているような気がしました。
さて、少し話しは戻りますが、イザナキが黄泉比良坂を逃げる途中、
坂の麓に生えていた桃を追ってくる雷神に投げつけて追い払った
という話があったのを覚えていますか?
この逃走物語は呪的逃走神話というそうですが、中国陰陽五行思想の影響だといわれています。
五行思想の金の気は、邪気を退けるとされ、桃や大豆などの堅い実は「金」の気に属し、邪悪なものに打ち勝つとされています。
節分の豆撒きも同様の意味だそうです。
また、桃の実は仙人の食べ物とされ、霊力があると信じられていました。
イザナキは、自分を助けてくれた桃の実に
「お前が私を助けてくれたように、葦原の中国(あしはらのなかつくに)に生きる現世の人々が苦しみ悩んでいるときには助けてやってくれ!」
と言い、桃の実にオオカムヅミノ命という神名を与えたそうです。
猪目洞窟は、
JR出雲駅より一畑電鉄で雲州平田駅下車、バス、車で20分
のところにあります。
わざわざ見に行くところでもないとは思いますし、憑依体質の方は、本当に何か変な物に憑りつかれるかもしれないので、あまりお勧めしません。
さてあたなは、どちらが黄泉国の入り口だと思いますか?
黄泉の国について、おもしろいことを書いている書籍を見つけたので一部を引用して紹介させていただきますね。
興味のある方は、下の書籍をご購入くださいませ!
参考書籍 瓜生 中 定価476円
~古墳の内部を彷彿とさせる黄泉国~
黄泉国とはヨモツクニとも読み、死者の赴く闇黒の世界のことである。
イザナギが亡き妻、イザナミを慕ってここを訪れるという話は、古代には肉親を埋葬した後に、近親者がその遺骸を見に行く風習があったことを背景にしているとも言われている。
なぜ、そのような風習があったかはハッキリとしたことはわからないが、あるいは死者が復活して亡霊のようにさまようことを恐れたのかもしれない。
いずれにしても古代には実際に遺骸を検分するために古墳の中に入った人がいた。
黄泉国の光景はそんな人たちの体験がモデルになっているように思われる。
黄泉比良坂(よもつひらさか)は古墳の入口からの傾斜を示し、そこから続く漆喰のトンネルの奥には石室がある。
黄泉国の御殿は古墳内の石室で、その中の石棺に遺骸が納められている。
遺骸を検分に行った近親者はわずかな灯りをともし、勇を鼓(こ)して石室の内側に入り、石棺の蓋を開ける。
その瞬間、近親者はすさまじい恐怖にとらわれて一目散に逃げ出す。
途中、怨霊が追いすがって来る妄想にとらわれ、身に着けているさまざまなものを投げつけたり、剣を振り回したりして怨霊を振り払おうとする。
イザナギの逃走劇にはそんな古代人の実体験が反映されているのではないか。